日記

 

2月22日

インドから帰国。1月30日に日本を出発して、たくさん、不思議な体験をした。まず、インドへ行く事にしたのは、

或る日の夢がきっかけだった。夢には、夫の両親が出てきて、不思議なことを私に言うのだった。

目が覚めて、何も考えなかったが、午前中に洗濯物を干していて、ふと「インドへ行こう」

と、思い立った。それが、今から、2ヶ月以上前。1月の初めのことだった。

1月の10日に、霊的な現象で、新しく借りたスペースが水浸しになってしまった。

翌日、その片付けに夫の後輩、88箇所を歩き遍路した青年が手伝いに来た。

元々、彼の母親が、ワークショップを受けていてその縁で、夫の88箇所体験を聞きに息子の彼が来た。

それが一年前のことだった。

それから、しばらく彼には、会うことがなかったが、スペースの惨状を聞きつけて手伝いに来てくれた。

後片付けが終わって、夫の事務所で、お茶を飲んで休憩しているとき、なんとなく

「私、インド行くけど、一緒に行く?」と何も考えずに彼に聞いていた。

「はい、行きます」と、二つ返事で、彼は答えた。

その後、全て、とんとん拍子に事が運び、彼は、初海外、初飛行機、初インド。の旅に向かうこととなった。

 

2月23日

彼、仮にK君はなんで急に私の誘いに乗ったのだろう??

しかも、「僕はお金ありません」と言っていたのに、その場にいたワークの生徒で、あるT氏がスポンサーになった。

さらに、Tの名前は、K君の父親と同名であった。

なんだか、見えない世界から手招きされているみたいだった。

折りしも、インド滞在中の夫は、その前日から、ネパールの山奥で、なんの連絡も取れなかった。

「インド行き」を私の心で、本当に決心してから、夫とは、2週間以上連絡が取れない状態となった。

その間に事はドンドン進んでいった。

2月24日

夫に連絡が取れるとしたら、早くて1月26日。でも、多分、遅ければ、29日。

私が、日本を出発すると決めていたのは30日。

連絡をしても、一日前。長くて、4日前。

だったら、いっそのこと、内緒で、行ってしまおう。それがいいのかもしれない。

私にしては大胆な計画を立てて、出来うる限りの人にこの話をしてみた。

この、「私的サプライズ」計画に反対する人は誰一人いなかった。

1月25日に夫の大親友が遊びに来てこの話をすると

「あいつは、そういうサプライズが大好きだから、それは喜ぶだろうな。」

この一言が計画実行の決め手となった。

決意して一日。ネパールの夫から電話が入った。

無事、下山したのだった。

何食わぬ顔と声で、応対するのに必死だった。

それから毎日。と言っても、30日に離日するまで、電話は入り続けた。

26、27、28、29。4日間電話が鳴った。

その度に、何食わぬ顔と声で、話をした。

たった4日だった。でも、この4日の長さと短さは、人生で、かつて経験したことのない

スリル、があった。「秘密の計画」を実行するのなんて、生まれて初めてだったかも?

しれない。

そして、「決行の日」。1月30日の朝が来た。

もし、夫に打ち明けていたら、こんなにドキドキはしないだろう。

というほど、私の胸は高鳴っていた。

大体、この「計画」で夫が喜ぶのか?怒るのか?検討もつかない。

K君を伴う計画でなければ、とっくに「ギブアップ」して「中止」にしてしまったかもしれない。

まして、インドでのコーディネートを頼んだ、S嬢の荷物を頼まれなければ、

行かずに済ませてしまったかもしれないのだ。

S嬢の母上が2度に渡って、インドにいる彼女に。と、荷物を持って

来訪していた。もう、断れる状況ではなかった。

夫を「だます」とか、「欺く」とか、そんな気持ちは全くなかった。

何か、目には見えない大きな力が2重3重に働いて、私をインドへ向かわせようとしていた。

1月30日、成田からマレーシア経由の飛行機は飛び立った。

まず、マレーシア・クアラルンプール空港へ向かい、トランジットで、12時間の休憩。

これには、空港のトランジットホテルを利用した。夜、9時過ぎに到着。翌朝、

9時過ぎにクアラルンプールを出る。

私は、この「計画」のドキドキで、K君は「生まれて初めての飛行機。海外。それもインド行き」で、

前の晩は二人とも、ほとんど寝ていなかった。

S嬢に予約をお願いした、ホテルは居心地が良く、隣の部屋で、K君もぐっすり寝ていたらしい。

1月31日の朝が来た。どこかで、朝食を食べよう。ということになった。

空港にあるハンバーガーショップで食事がしたい。

若者らしくハンバーガーの好きなK君の希望で、「バーガーキング」へ。

初め、私が並んでいたが、手持ち無沙汰な様子のK君に買い物を任せてみることに。

「変わろう。」と、言って、カウンター近くのテーブルに呆然と座っていたK君に「交代」を

言い渡す。K君、焦りながらも「いいですよ。」と強がってみせる。

列に並んだ、後ろ姿はこれまでにないほど、緊張していた。

無事、ハンバーガーや飲み物を買い、テーブルに戻ったK君に「どうだった?」と聞くと

「楽勝っす。」とこれまた、強がる。私は心の中で「強がり屋さんねー。」と驚いていた。

でも、「相当ドキドキ」したらしい。

こんなときには、私の「15歳の息子」もこのくらいの買い物は出来るのよ。と、私の息子Nの話を出す。

K君、相当な負けん気らしく、Nのことを言うと、俄然がんばってしまうのだった。

4歳違いの19歳。それも仕方ない。しかも彼は、男三人兄弟の末っ子。

きっと、お母さんに甘えて大きくなったのだろう。

この後も、Nの話はK君の闘争心に火を付け、私は、何かというとわざと、

「N」の話を持ち出し「K君」の甘ったれをかわし続けた。

乗り継ぎにしても、カウンターで、やり取りをするのは私であったし、

ヴィザの取得、何から何まで、人に頼りっぱなしで、ここまできてしまった。

朝ごはんくらい、自分で、注文できなくてどうするの?と私は思っていた。

このまま、甘ったれていくのか?

それとも、きちんと成長するのか?

そんな分かれ目に彼は立っている。そんな気がしたのだ。

一人前になってもらいたい。と私は考えていた。

それもありきたりのではなくて、「魂」がきちんと大人になって欲しい。

と望んでいたのだった。

2月26日

マレーシアから、朝9時半に空港を出ると、インドへ11時半には、到着する。

これは途中で、時差が生じるためで、本来は、4時間近くの時間が掛かる。

9時半に飛行機が飛び立ち、インド時間の11時過ぎに到着。

荷物がサッパリ出てこないので、一時間近く、待つ。

空港の外は暑く、真夏のようだった。

S嬢を一時間も、外で待たせてしまった。

タクシーがどこにいるのかわからず、しばらく探す。

見慣れた、ボンボヤージュの車。

ドライバーは初めての「クマール」。

以前もクマールだったがこちらは新人だ。

昨日、チェンナイ空港から、アガスティアの葉の館のある村まで、夫を乗せたらしい。

これもおかしい。(秘密なのに、こんなにすれ違っていて)のだが、彼にも伝えない方がいいかと、

日本語の会話だけで、彼にはわからないようにやりとりをする。

ところが、「秋元海十」の妻で、あることを「隠して」いたため、この

「クマール」態度が悪い。今までなかったことだが、勝手に昼ごはんを食べにレストラン

に立ち寄ろうとしている。それまでもボンボヤージュのドライバーにしては態度が悪いので

私は怒った。すぐに社長のセンティールのところに行って。とS嬢に通訳を頼む。

インド人はとても勘が良いので「クマール」も事が普通ではない。と

察知したらしい。今までと態度が打って変わって、激変した。

緊張し、びくびくしている。私は、怒り続けて、社長のセンティールになんと話をしようか?

考えていた。見慣れたボンボヤージュの事務所に着いた。事務所の前に

センティールがいる。私を見つけて「飛び上がった」!(笑)

ドライバーの「クマール」(クマみたいなむっくりした体形)に

「彼女は、海十の奥さんだよ。」と言っている。

車に同乗していた二人もその様子を見ていて、おかしかったようだ。

そして私に向かって「海十は驚くねー。」(サプライズ)と言った。

でも、実は、彼が驚いていたみたいだった。

2月27日

オーロビルで、必要なものを買ったり、ポンディッチェリーのネールストリートで、K君はお母さんに

国際電話をして無事インドに着いたことを伝えた。

K君は、日本からジーンズしか、穿いてこなかったので、半ズボンのようなものを買ったり、

サンダルを買う。「インドは暑いですねー。」と、日本との気候の違いには、びっくりしたようだった。

そして、いよいよ、館のあるバイテーシュアラムコイルへ向かう。

ポンディからは3時間ほどだ。買い物やらなにやらに思ったよりも時間が掛かって

陽はとっぷりと暮れ始めていた。真っ暗な道をドンドン進む。私にとっては見慣れた

風景が次々に現れる。この同じ風景がK君にとっては「始めて見る」目新しい景色であり、

S嬢にとっては、あまり見かけないけれど、今居る、ポンディと大差のない景色でもあるのだ。

インドの町並みは、日本人の私にはどこも同じに見える。

どの町も騒がしく、床屋や、仕立て屋、訳のわからないものを売っている雑貨屋。

食品店。TIFFANと書かれた軽食や。クレープのようなドーサや、チャパティー、

蒸しパンのようなイドリ、甘くないドーナツ型のVADAなど、中で食べられる。

そして、チャイ。「チャイ、チャイ」と言っているのか、「チャヤ、チャヤ」と言っているのか、

判らないが、大きな声で、掛け声を掛けて紅茶を勢い良く高い場所からもう一方のカップに

注ぎ、冷ましている。いや、コレは、砂糖と混ぜ合わせているのか?

どちらかはさだかではないが、どの町の街角にもある。

我が家の子どもたちは、この「チャイ屋」が好きで、その「パフォーマンス」も面白いらしく

家で、良く「チャヤ、チャヤ」と掛け声を掛けながら「チャイ屋」さんごっこをしているのだ。

遊びといえば、6歳のクミは、木の切れ端に訳の判らない文字を書き「クミちゃんの葉っぱ」

(つまり、自分のアガスチィアの葉をごっこ遊びで、作ったというわけだ)

と、自慢していた。本当に良く出来ていて、子どもの洞察力は凄いな。

と感心したものだった。

S嬢が「海十さんに友達が来ると連絡してあります」と言う。

私は「Sちゃんのお友達なら、女子大生の若い女の子が来ると思って

期待しているんじゃない?」と言うと、「そうなんです。ふふふ」と笑っている。

「でも、女の子二人じゃなくて、男の子と女の子です。と言いました」この話はおかしくて、

笑いが止まらなくなってしまった。「え!じゃ、がっかりしていなかった?」と私が聞くと

「な〜んか、ちょっとそんな感じでした!」とS嬢は答える。

夫は、若いカップルが現れるかと、思っているのだ!でも、そのうちの一人が私と判ったら、どんな顔を

するのだろう???そんな話をしてはしゃいでいたら、私はいつの間にか眠っていた。気付くと、

バイテーシュアラムコイルの交差点にいた。窓の外を見ると大好きなドライバーの「ラトラ・クマール」

(今、運転している「クマール」とは別人)がこちらを見ている。目がいいのか?勘がいいのか?

夜なのに外からタクシー内の私を見つけたのだ!気配を感じたのだろうか?

窓を開けて「クマール!」と呼ぶと

ニコニコしながら、「マダム!」と言っている。「私の夫は?」と聞いてみた「ホテルに」と言うので、

「また、明日会いましょう。ありがとう。クマール」と挨拶をして早速ホテルへ向かう。

ホテルに入ると同時に誰かが二階から階段を降りて来た。どうやら夫らしい。

私は、この瞬間を写すために日本から持ってきたビデオカメラを構えて、

タクシーから降りた。何も知らず、おそらく見知らぬ日本人の女性がいると

思っているはずの夫にとりあえず「ハロー!」と声を掛けた。

夫も「ハロー!」と言う。私と夫の距離は徐々に縮まった。

ナイトショットにし、暗がりでも夫の姿ははっきりとカメラが捉えている。

夫から私が誰なのか?識別できる距離まで私達は接近した。

「まじかよ!」と夫は叫んで、ピョン!と飛んだ。

お前なんでここにいるんだ!とも、言っていた。

K君、S嬢もタクシーから降りて、夫は益々

驚き、さらに、「お前の指紋が届いてないぞ!」と文句を言った。

「指紋は送っていないよ。私が来たじゃない!」と私は答えた。

3月6日

私が、夫と再会を果たし、翌日館へ向かうと、ナディリーダー達は驚きながらも

みんな大喜びだった。なかでも、優秀なナディのチィルニャーナムは大喜びし

「彼(夫)に30分前にマダムはいらっしゃらないのですか?と聞いたのですが、来ない。といわれてしまいました。」

と笑っていた。通訳のマニは冷やかしに来て「カイト!お前があまりにも長い間、留守にしているから

マダムは夫はどこ?どこにいったの?と会いにきてしまったのだよ!」と嬉しそうに冗談まじりにしゃべっていた。

続けてマニは「朝、運転手のラトラクマールが朝、昨夜、マダムが来た!といいに来たけど、お前の勘違いと。」

クマールは気の毒に誰にも夕べ、私を見かけたことを信じてもらえなかったらしい。。。

ティルニャーナムも、夫が驚きのあまり不機嫌に「マダムなんて来ていないよ。」と言っていたので、

ことの次第を飲み込むのに私の姿を見てから。。。という事態が起こった。

館へ行くのに、強い日差しをさえぎるのに、サングラスを掛けて歩いていたのだが、その際にダムダールとすれ違い

館には、遅れてやってきたダムは私のその姿を覚えていて「マダム、先ほどはサングラスを掛けていらしたのでは?」と

また、大喜び。大騒ぎとなった。この日は大人しく、検索の様子などを見学し、この翌日、私

おうぐうてんけいの葉を検索することにした。

 

5月29日

最近、この、新しく検索した葉を見る機会があった。

あの時、私は、本当は、なによりも自分自身で、自分のもう一つの葉を探したい。と、

強く願っていたのだった。

 

8月20日

 

おお!気がつけば、日記をずいぶん書いていなかった。と、夫のHPに私のことも含めてこんな報告が載っている。

本日、山本印店に行ってまいりました。
さきほど携帯にメールさせていただきましたが、再度ご報告致します。

山本さんにゆかりが
「岡田さんのところで三年前からワーク生なんです」と話しました。
「誰が?」と山本さん。
「夫婦で、お世話になっております」とゆかり。

しばらくハンコウをご覧になってから、
「岡田君は何してるの?」と。


「はい、海十さんは9月1日に岡田さんは今年中に私が勤めてます東京書籍から本を出版します。
こういう本を出版するんです」と、
海十さんの表紙を印刷したものを見ていただきました。

「売れますか?」と私。
「う〜ん、よくわからないなぁ。。彼は外国に行くとおもしろいことが起きるんだよね。
日本のことはわからないけれど。。」と。

それから、少し他の話をしていてから、急に
「この本を作るのに、奥さんがいろいろとかかわっているなら、売れるよ」と言われました。
「はい、作る過程でも大いにかかわっていただいて。。」と私。
「奥さんがかかわっているなら、売れるでしょ」と話していました。
また、「88箇所でも色々なエピソードがあったと思うけど、これはというものを生かすように」とも話していました。

それからまた少しして。
「この本、おもしろそうだねぇ。。」と言われたので、
「出来ましたら、私か岡田さんのほうかはわかりませんが、持参しますので」と話しました。
すると、
「サイン付でね」と笑って言われました。
「**さんへ と書いてもらいます」と私。

そして、次のことを伝えて下さい、とのことです。

「岡田君は、外国に行くと不思議なことが起こるからおもしろいんだよなぁ。。
だから、そういうことを本にしていくといいんじゃないの」と。

また
「岡田君は色々な発想が浮かんだりして、それはそれで良いことなんだけど、
奥さんが反対することは絶対にしてはダメだよ。すべて相談していくように」と、
強く言っていました。

またおうぐうさんには
「もう少し気楽にしたほうがいいよ」と伝えて下さい、と。
岡田君は気楽にできる面があるんだけど、奥さんのほうは気楽にできないんだよね。
気楽そうに見えても、そうできないんだよなぁ。。」と。
「気楽にできるように、まわりも助けていくようにするといいんだよな」と。

また、
「ふたりとも神秘的だから、見えない世界のことを表現して本にしたらいいよ」というようことを
話されていました。

私が、「今回の本も『見えない世界』が大事なんだとというコンセプトも含んでます」と言うと、
大きく頷かれて、「そう、『無』だからね」と。


それから、本を売るのは、著者、編者者とかかかわる人たちが売ろう!
という気持ちを持てば売れるものなんだよ、とも話していました。

ということでした。

そうです!最近、私は、気楽に出来ませんでした!

確かに、気楽さが欠けていました。

一つは、今年初め、大変なことが起きて、もう、うんざりしたということ。

それは私が反対したにも関わらず、夫に起こったある出来事があったのだった。

その、うんざりした出来事を収めるため、私はインドへ向かった。

自分の「おうぐうてんけい」の葉を見てみたい。その気持ちも、

あり、インドへ行くのは必然となったのだった。

今まで、この、事実を発表するのは少し気が引けていた。

なぜなら、「気楽」に考えられない。私の性格、故だ。

夫と私が登場するのはいいとしても、もう一人の第三者に遠慮して。

発表する気にはなれなかった。でも、今度の夫のインド行きに「ある気配」を感じていた。

イヤーな、感覚。が襲ってきたのだ。。。あの、今年初めの悪夢が再び訪れそうな。。。

では、一体どうしたら?と、直感的に、あの事実を発表しよう!というものだった。

その事実とは?

続き。初めて開いた夫のアガスティアの葉、第一章に以下の記述があった。(「」
内はとても重要な事柄です!)http://www.bluetrek.org/私自身の葉をクリックすると

私自身の アガスティアの葉

SIVA SAMYの館

検索日 2002年2月3日
第一章を開いてください。

前略

 しかし過去世に犯した罪と星の不完全な配置による悪影響のため、様々な問題や苦痛を抱えることとなる。トラブル、苦痛が迫っている。仲間または同
僚の裏切りにより突然の不振、停滞をかんじることとなる。嫉妬や妬みから彼に対して悪意のある者が邪魔をしているのである。したがって彼はその企み
により失望し傷つき、努力していることその他の問題にも光を見出せない。


「配偶者との考え方、意見の違いにより結婚生活においての苦い経験,痛みを
伴う別れを経験するかもしれない。

 こども達の将来を考えるとき彼は精神的に苦痛を感じ不安に落ち込み混乱状態となる。瞑想、信仰、信心といった問題からも苦しみを味わうこととな
る。彼に対して悪意のある人間そして悪女が彼を悪いほうへ導こうとときを覗っている。」

これらの混乱を拭い去るには第13章、第14章に書かれた処方を
一刻も早くうけたほうがよい。
 第13章、第14章の処方箋は彼をすべての問題から守り、幸運、安心を得るほうへと導くであろう。彼は仕事においてその能力を発揮する機会に恵
まれ、そしてその仕事はふさわしい評価と認知をその業界の人々から得るであろう。彼の妻はさらなる飛躍を仕事においてとげるだろう。著名な雑誌に掲
載される彼女の有益な記事、エッセイが彼女の人気を高めることとなる。このことが彼女の才能、能力を芸術の分野において開花させることとなる。
 彼女は貴重な役割、ポジションを仕事において得ることになる。彼の35歳、ちかくでする引越しは彼に望ましい変化を与えることとなる。36歳になる頃
、いい場所に不動産を得ることになる。妻とこどもたちとの間で彼の後半生は成功に満ちたものになる。

後略。

とあります。

この、発表しようとしている事実が起きて、後の葉には、括弧内の記述はなくなっているのです。

そして、この、悪女が邪魔をする。というのは、私の葉にもありました。

さあさあ、では、どんなことが起きたのでしょうか???

夫は、昨年、同行者とともに、インドへ渡りました。

その、同行者は、初め、二人以上いました。

ある日、メッセージが降りて来ました。

「もしも、最後の奇跡のような出来事が起きてもお前は許せるか?」と。

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、青山圭秀さんの著作、「最後の奇跡」です。

お読みになったことがない方のために、かいつまんで内容をお知らせしますと。。。

最後の奇跡には、父親が同じで、姉妹を母に持つ、兄弟が描かれています。

姉妹の姉と、夫婦の男性が、妻と、娘が留守のほんのちょっとの間に、訪ねて来た妻の妹と、「過ち」を犯して、子供が生まれてしまうのです。
私の説明が下手で、判りにくい方は、「最後の奇跡」をお読みください。

本当にすばらしい小説ですが、この、内容を小説として読むことと、実際に自分の身にこの出来事が起こることは、天と地ほどの差があります。

昨年の11月だったと思います。私は、悩みに悩みました。なぜなら、同行者は、全員、女性だったからです。

「最後の奇跡」のような出来事。とは、インドへの同行者と、何か、過ちを犯して、夫を父親にして、同行者のだれかが、子供を身篭るのか?と。。。。

そして、そのうち、一番可能性の高い方をお断りしました。それで、安心。かと思いきや、その後、大変なことが起きていったのです。。。

この後、私は、少し気を抜いていました。気を付けなければならない方をお断りしたからです。

でも、でも、事は確実に起きていました。夫のHPの日記をご覧になった方はご存知でしょうか?

Pさんという女性と同行したことを。そして、インドへ着いて、初日。夫と、Pさんは、同室で、宿泊したのです!!!

スイートルームで、別々に就寝したらしいのですが、もし、「相手が相手」なら何が起きても不思議ではない。

そんな状況です!でも、このとき、何も起こることはなかったようです。そして、さらに事は進みました。。。

それはクリスマスの日。大きな映像が何度も脳裏に映るのです。。

それは夫が見知らぬ女性と二人乗りで、スクーターに乗っている。という画像でした。。。

私はアガスティアの葉にも書かれているのですが、予知の能力があります。

なんだか、判らないけれど、すごく危険な感覚がしました。危機的状況です。。。

それは、その、翌日、26日の映像が一日早く送り届けられた。のでした。何度も何度も、国際電話をしました。

結果はむなしいものでした。。。クリスマスの夜、とうとう国際電話が繋がる事はありませんでした。。

そして、やっと繋がった26日。「何をしているの?」と夫に尋ねると「今、スクーターで、二人乗りしている」と。。

これはしてはいけないことでした。危険な映像として私の「予知」のフィルターに届けられた画像が

現実になっていました。一体、何が危険だったのか???それはPさんの「心」

「思い」が危険だったのです。この出来事で、Pさんは、いつの間にか、夫に「好意以上」の何か?を

感じていたようでした。。。それがもっとも、「危険」な出来事だったのです。。

26日の夫の日記に、Pさんとスクーターで、町に繰り出す。と、そんな記述がありました。

その日から、Pさんの「思い」は私を苦しめました。というか、その、二人乗りのその瞬間から、Pさんは私を確実に憎んでいました。

その日の夜。私は眠ることが出来ませんでした。絶え間なく襲う、寒気。殺意。その、悪寒は数日間続き、私は健康を害するまでになりました。

Pさんは弟さんを「オートバイ」事故で、亡くしておられます。もし、私が弟をオートバイの事故で亡くしたら?私は、スクーターに乗るのも嫌。

と感じるでしょう。でも、Pさんの感覚は違いました。とても楽しかったようです。そして、その楽しい思い出を作った夫に感謝していました。。。

その、反面、妻である私に向けられた「憎悪」の念。。。「光源氏」で六条御息所が生霊となってにくい女性をのろい殺す。

そのもののエネルギーはいつまでも続きました。歯の根がかみ合わなくなるほどの寒気、生きていても仕方ない。。。というような

死への思いは、絶え間なく続きました。。。年を越したある日。思い余ってPさんにメールをお出ししました。

Pさんは大きな勘違いをされているからです。それを替えていただきたいと思ったのです。メールを出したその瞬間、

真夜中にも関わらず、我が家の3台の自転車は何者かになぎ倒されたかのように、大きな音を立てて

ガラガラと倒れました。朝、漏電などしたことのない洗面所は、初めての漏電で、火を噴きました。

そして、その昼、風邪を引いたか?と事務所から、自宅に戻り休んでいると、聞き覚えのない、電話が。。

不動産屋さんからのものでした。「漏水して水浸しだから、来てください!」と、。2時間前まで何も

変ったことのなかった私の事務所兼スペースに急いでみると、天井から水が漏れ、中はまるで、プールのようです。

起こってしまいました。大変な出来事が。しかも、これはホンの序章かもしれないのです。

ワークショップに通ってきてくださってきる皆さんに片っ端から電話をかけました。皆さん、大急ぎで、

駆けつけてくれました。事務所は、翌日にはなんとか片付きました。でも、

このままにしておいて、危険なのは、「夫の身」の上でした。夫はネパールで、極寒の地で、山に登っています。

私が感じたPさんの思い。それは夫の山登りに反対している。ということ。

インドでの数日で、夫とのかかわりに「特別な何か」を「感じて」Pさんは夫に「支配的」な思いを持ち始めている。と、

判りました。このままでは夫の「命」が危険にさらされるでしょう。なんとか、Pさんの意識を変えなければ

なりません。私は必死でした。毎日のようにPさんとやり取りをしました。メールでは歯がゆいので

実際に会ってお話したかったのです。「愛」ではない「支配」「執着」の思いを変えていただきたかったのです。

でも、駄目でした。Pさんはその「後ろめたさ」からか、どうしても会ってはくれません。Pさんからの「会わない」という最後通告を

受けて私は、ふと思いました。インドに「本当に行くしかない」と。私が出向くことでしか、この、エネルギーの結末を変化させることは出来ない。と。

行くと決心し、しばらくして夫は無事下山しました。しかし、今まで一度も失敗したことのない登山に失敗していました。。。

なぜ失敗したのか?私にはわかっていました。。。でも、「最後の奇跡」のような出来事、取り返しの付かない出来事ではなく、

水浸しや、登山の失敗で、済んでもいたのです。「大難を小難に変える」これも又、私の能力の一つです。

「彼に対して悪意のある人間そして悪女が彼を悪いほうへ導こうとときを覗っている」が起きていました。確実に。。

さらに、今日、8月20日、なんとも、不思議なことがありました。前述の印鑑店に伺ったのです。

夫の本の見本が昨夜出来上がり、それを持っていかなければいけない。。と強く感じました。

印鑑店は休日とのこと!え、話が違う!と思いましたが、なぜか快く見ていただけました。サイコメトリーで、今の状況を読んでくださいます。

すると、印鑑店さんに通って初めて「先祖」の話が出ました!『あなたの実家どこなの?』

「家はもともと巣鴨です」『ふーん。そう。そこに戻って、買い戻す気はない?』「え?」

「その土地は、もともと、弥勒教という宗教団体が持っていたらしいのです」『あの辺り、巣鴨、池袋、駒込、護国寺、一体かなり霊的な場所だね』

『あなたはあの辺の持ち主なんだよ。あの辺りの担当って言うのか?中心に生まれたんだよ』

『巣鴨に帰って仕事をして欲しいみたいだよ。あなたの先祖が。今まで修行をさせてきたけどもう、戻りなさいって』

『駒込の六義園のあたりがいいなあ〜』

これは、すべて霊的な意味合いのお話らしいのです。そして、おずおずと本を差し出すと、

『この本はあなたの仕事なんだ。あなたの仕事としてこの本が出たんだよ』

これは、一昨日、メッセージで、「夫と息子が成長し、仕事を始めたことはあなたの仕事。面目躍如です」と私が、見えない世界

から直接受け取ったことと同じ意味のお話でした。面白いですね。霊的な事柄は一致することが多いのです。

そして、まだまだ、お話は続きます。『あのね、あなたはかぐや姫なんだ。くっくく』となんともうれしそう。

印鑑屋さんはうかがうと私を必ずかぐや姫と言います。そして、以前夫とともに伺った際にはこんなお話がありました。

『(夫に向かって)この人はかぐや姫なんだよ。上(神や仏の世界)がいい男を呼び寄せるためにいい女に作ったんだ。

大勢の男がこの人の周りに集まった中であんたがこの男!って選ばれた。上が選んだんだよ』と。

そのときも面白いお話だな〜と思いましたが、今日のお話、それを完全に上回っています!巣鴨、池袋、駒込、護国寺!大好きな場所!

とくに巣鴨は生まれた場所ですから、好きなんです。とても。私が生まれた44年前はあんなに栄えてはいなかったけれど。

そして、『士農工商から外れた血筋』と。「それってどういう意味でしょう?」と訪ねる私に

『巫女ってこと、シャーマンっていうのか?あと、教師のDNA』『空海みたいな先祖がいてその、祖先返り』と簡単におっしゃいます!

以前にも、『空海と卑弥呼を足して2で割ったような人』と言われたこともありました。

へえ〜〜〜(トリビア的には、500へえくらい押したい気分)です。

『あなたは、不思議なことどうでもいい人だから。そういうの大好きな人を現実にきちんと眼を向けさせるのも仕事だね』と言います。

夫との結婚、息子の遍路、娘の病気、すべての意味を教えてもらって、私とTちゃんは目をくるくる回しながら

調布に戻って来ました。今日、書けるのは、以上。又、ゆっくり、詳しく書きます。

8月21日

今日は朝からまたまた、大変!遍路に出ている光永から電話で叩き起こされました!

「寝てたでしょ?」「うん。。」寝ぼけて電話を取ると、「Sさんが電話通じないって。」

あ、そうです。今日は、四国放送のSディレクターとお約束の日でした。一昨日から、子供達は

Zさん宅へお泊りで、私は、久々の「休日」を一人で、のんびり味わっていたのです。。。でも、3時間後には、

四国放送の取材を受けます。。支度しなくては!息子の光永は案外、うるさいことを言ったりしますので、最低

薄化粧くらいはしなくては!あとで、何を言われるのか?わかりません。

軽く食事をしたり、身支度をしたりしてあっと言う間にお約束の時間。仕事場でも

ある、カフェでのインタビューです。『光永君の不登校中、あせりなどありませんでしたか?』

「ありません。あせりというよりも、生きていて、元気でいてくれたら、それでいいと思ってました」

『15才の子がお遍路に出て心配はありませんか?』「何も心配していません。眼に見えない世界が守ってくれていると感じています。

空海の同行二人がそれにあたると思います。」Sさん確かに、困っていました。私が何を聞かれても、Sさんの予想外の答えをしているみたいなのです。

最後、「私は東京で心穏やかに暮らしています。」そしてインタビューは終わりました。Sさん、微笑みながら『凄いですね』と一言。

いいえ、凄くなんてありません。息子を信じているだけなのです。息子であるからではなく、一人の人間の力を。

私が受け取った初めてのメッセージ「一人の人が地球を変える」これが12歳の私に与えられた最初にして、人生最大のメッセージ。

それを信じて、今まで、生きてきました。息子、光永が世界を変えるかどうかは判りません。でも、彼が、東京に居て、つまらない毎日を送って

いるよりも、四国お遍路という「大冒険」を経験して、大きく成長してくれることは間違いないと思います。

夫の秋元も、インドで、シバの葉と格闘しています。この葉を読んで、九州の竹雀庵さんは私の九州講演を企画してくれました。

そして、その、九州講演で、何が起きていくのでしょうか?人が、それぞれの「力」能力を生かしていくと、世界は確実に変っていく。

私はそう信じています。(続く)

PS.今日のインタビュー、四国放送のおはようとくしまで、9月1日、光永の特集で、オンエアされる予定です。

9月1日の放映は台風の影響で、延期になりました。詳しい日時がわかり次第お知らせいたします。

9月4日


早いもので、お誕生日にお祝いのメールなどをいただいて、
一週間が過ぎようとしています。あ!っと言う間に時間が過ぎていきますね。

この、一週間も、いろいろなことがありました。

44回目の誕生日を迎えて、先週の土曜日は、ヴィーナスカフェにて、
こんなにかわいいケーキがあるの?というくらいに素敵な薔薇のケーキと、
自然食のお弁当で、小さなお祝いの席を設けてくださいました。

お祝いに駆けつけてくださった皆さん、ありがとうございました。
心をこめた、プレゼントも、いただきました。

インドの夫、秋元海十からも朝一番で、お祝いのメールが入っていました。
「チーコ?」というのは、コーチのバッグに対する冗談で、いつも、夫は私を
からかって「チーコのバッグ買ってやるぞ〜」と言うのですが、誕生日のお祝い
メールにまでそれを書いてきた!というのは、「チーコ」がよっぽど気に入ったの
でしょう。夫の考えた親父ギャグです。いつも、そんなことを言って一人で、大笑
いしています。家族は結構、冷たい反応ですが。。。

私は特にブランド好きではありませんが、数年前にコーチが気に入って
幾つかバッグを持っています。今、一番気に入っているのは、HOBOという、
斜めがけバッグ。子供と手をつなぐのに、両手が空いているのは本当に便利です。
かと言って、リュックのように背中に背負ってしまうと荷物の出し入れが大変。
斜めがけで、手も空くし、財布や、携帯電話が必要なときにはさっと取り出せる!
と言うのは本当に便利。今、手放せないバッグです。これが、たまたま、出かけた
調布のアースデイ・フリマで、激安で、入手したと言うのも、自慢なのでした!
なぜか、コーチ好きな、海外に住んでいらした方が、少し前のコーチを数点、考え
られない値段で、売っていらして。こんなところにコーチが売ってるはずない。。
と眼を疑ったのですが、やはりどう見てもコーチ。しかも、本物。お話をすると、
コーチが好きで、たくさん持っていらして使わないもの(だから新品同様)を売ろ
うと持ってきたの。と。

アースデイに興味を持って出かけてみたら、自分にとって、とっても素敵な買い物
が出来たのでした。いいな〜、と思う場所には、行くべし。です。

何か、とてつもない幸運が待ちうけているかもしれません。

私の誕生日に留守の夫は、続けて、9月1日の自分の本の発売日にも、日本を留守に
しています。

続いて9月2日は、娘の誕生日。19歳になりました。今、遍路中の光永の姉です。

娘が誕生日したのは、私が25歳になってすぐ。25歳の誕生日プレゼントのように感
じていたのが昨日のようなのに、もう、19年も経っています。

水森亜土好きな娘に亜土ちゃん帽子をプレゼントしました。

オレンジ色のキャスケットです。8月末に出かけた巣鴨の商店街で、偶然見つけた
かわいい帽子。さらに再来年は、成人式を迎えるので、今から、振袖の準備です。
なんだか、今から準備しておかないと間に合いそうにありません。私は、とって
も、時間が掛かる人間なので。

九州の講演会へ伺う、打ち合わせや、秋元の留守に起こるさまざまな出版にまつわ
る出来事、光永の遍路本の打ち合わせ。いただいたメールへのお返事。などなど、
毎日どうしてこうも忙しいのか?というくらいに忙しく過ぎていきます。。

九州へ伺うのに、和服で行こう!と決めて、その準備もありますし。

出版が決定している私の次回作も書かなければなりません。

さらにさらにカフェを新しい展開にするため、店長のTちゃんとの打ち合わせなどな
ど。ヴィーナスカフェは、とっても素敵なものをたくさん扱うショップになりま
す。健康と美容に優れているもの!達です。インドから、スリムになるサプリメン
ト、リラクゼーションに最適な御香も届く予定。お肌がきれいになるという石鹸と
か。この石鹸で、にきび肌が治った娘の実証済み。あとは、どんなものがそろうの
でしょうか?ショップオープンの記念イベントにメルマガ読者の方々に優先的お買
い得情報もお届けします。

お正月に企画して大好評でした「福袋」的な企画になりそうです。

お楽しみに!

又、何か、素敵なものを作っている方に委託していただくことも可能になるかと
思います。「素敵なもの」の作者の皆さん、メールにてお問い合わせください。

今日も、まだまだ書きたいことはあるけれど、この辺で。では〜

おうぐうてんけい