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2003年3月
エベレスト・ベース・キャンプ・トレッキング・日記

(タメル地区、フジ・ゲスト・ハウス)
2003年3月20日 インド ベナレス〜ネパール カトマンズ
もういいかげんインドに嫌気が差していた
このベナレスでは金銭に絡んだ人間の欲を
ひしひしと感じさせられ不愉快な想いをしていた
SURYA HOTEL チェックアウト直後
ベナレス空港へ行くタクシーを手配せねばならない
ホテル所有の車は400ルピーといっている
若干、高い
苛立ちホテルを出て外のタクシーを探す
ホテルを一歩でた途端
サイクルリキシャー、オートリクシャー、タクシーの運転手が
いっせいに私に群がる
口々に行き先を尋ね料金をまくしたてる
こちらが無反応でいると値段を少しずつ下げてくる
しかし折り合いがつかない
別のタクシーを捜しに表通りに出てみる
その間ひつこくつきまとわられる
苛立ちが募りタクシーとも折り合いがつかず
ホテルの前へと戻った
怒りは沸騰していた
強欲そうなオーリキシャーの運転手が私に
なにか一言発した
その瞬間、きれてしまった
10人ほどの運転手連中を前に日本語と英語で
怒鳴り散らしていた
とうとうつもり積もっていた感情が
爆発してしまった
騒ぎを見ていたホテルの旅行代理店のネパール人青年が
ホテルのフロントと掛け合い300ルピーでホテルの車を
出してくれた
ネパール人青年タパには感謝している
やりきれない想いを抱え空港にむかった
ベナレス空港はカトマンズに向かう人でごった返していた
荷物検査や必要書類の記入、搭乗手続き、換金などで
猛烈な忙しさだった
出国カードを書いていると怪しげな男が私にパスポートと
必要書類を持ってこっちに来いという
何事かと思いついていくと
どうやらイミグレーションの係官に事がスム-ズにいくように
取り計らってくれているようだ
嫌な予感がした
予感的中
怪しげな男は私に近寄りイミグレーションを通過後、
贈りものを係官に渡せという
猛烈に頭にきた、腐りきっている
この二人はグルだ
おそらく何人かの日本人がこの嫌がらせに
泣かされているはずである
係官がこちらをちらちらと見ている、目でこちらに来いと
合図を送っている
近寄るとパスポートと出国カードを渡しながら
低い声で
「私の仕事に満足かい?」
と聞いてきた
賄賂の要求が始まった
イェスと言い放ち何事もなかったかのように
パスポートを受け取り、賄賂の要求は無視した
手荷物検査とボディーチェックを受けイミグレーションを通過
再び係官が私を待ち受けていた
私に近寄り耳元でさりげなく賄賂を要求してくる
とことん嫌気がさし10ルピーを渡し
侮辱してやろうと思ったが
徹底して英語がわからないふりをすることにした
賄賂の要求のたびに「はー?」とか「ホワット?」
を繰返す、10回ばかりの私のこの答えのオウム返しに
嫌気がさし金はもらえないと
悟ったらしく舌打ちをして消えていった
やっと追い払ったものの、もう一つの
心配の種が発生した
いつまでたってもうちの荷物をカーゴに積み込んでくれない
おそあく賄賂を渡さなかった
嫌がらせであろう
あわてて他の係員に頼み込んで
必ず積みこんでくれるよう
お願いする
もう最悪な空港である
一刻も早くインドを出たかった
もう二度とベナレスの地は踏みたくなかった
ネパールへ
わずか1時間の旅だった
はじめはインドでのダメージが大きく
警戒をしていたが徐々に安心し始めた
フジ・ゲスト・ハウスにチェックイン
オーナーは日本語を話しとても親切だ
部屋も10ドルのわりにはとてもきれいである
日本人が多く泊まっているのもうなづける
ふる里という日本食屋を教えてもらい
早速食べに行く
かつ丼を注文する
しばらく日本食を食べていなかったのと
詐欺まがいのベナレス空港から解放された
安堵感からか滅茶苦茶うまく感じる
そのうまさに感動する
その後、指圧マッサージを受け極楽にいたる
とにかく一旦インドを脱出して本当によかったと思った
全体的にインドに比べて衛生観念がしっかりしているように
思う
人間もそれほどひつこくつきまとわない
しばしこの地で休憩だ
私の目的は世界最高峰のエベレストのベース・キャンプだ

(ロイヤル・マウント・トレッキング社、ルクラまでのチケット購入 右は、モモ)
2003年3月20、21、22日 ネパール カトマンズ
ネパールにきた最大の目的は世界最高峰のエベレストにある
そのエベレストのベース・キャンプまでトレッキングすることだ
思い起こせばもう27年前にさかのぼる
当時私は父親の仕事の都合でパキスタンに住んでいた
ときたまあった休暇を利用して家族で
世界2番目の最高峰K2を車をチャーターして
観光に出かけた
ところがK2ヘ向かう峠道があまりにも状態が
悪く途中で断念をせざるを得なかった
その時の残念そうな親父の顔が今でも忘れられない
その時の思いをなんとか親父に代わって
今回果たしたいと思っていた
K2ではないがエベレストで・・・
そしてもうひとつの理由は
今回の葉の検索と巡礼の依頼者の名前を紙に書き
祈りをかけて現地語でサガルマータと呼ばれる
神の住む山にその紙を埋めて帰ってくることにある
実は巡礼の際にしようしていたリストに
サイババの祝福をダルシャンのときに
いただこうと思ってダルシャンに通っていたのだが
私の未熟さがあいまってその想いは果たせなかった
その事実がなおさら私をサガルマータに向かわせた
20、21、22日とカトマンズのタメル地区に無数にある
トレッキング会社に赴きどこか一番安くて信頼が
おけるかリサーチをした
そして時々出会う日本人にどの方法が一番安いかの
情報を収集した
とにかく3日間よく歩いた
本番のトレッキングが始まる前の
トレーニングのようなものである
今まであまりにも運動不足である
ネパール版、餃子のモモもよく食べた
日本食もいいのだがやはり現地の食べ物に
比べるとべらぼうに高い
インドよりの長期滞在なので
なるべく節約せねばならない
様々なリサーチの結果、トレッキング会社では
ガイドを雇わない事にした
カトマンズからルクラという村まで小型飛行機を
使って飛ばねばならないのだが
カトマンズでガイドを雇うとガイドの飛行機代も
負担しなくてはならない
私にとっては痛手である
トレッキング会社ではルクラまでの飛行機代、
往復186ドルだけを御願いすることにし
ガイドはルクラで調達するかガイドを雇わず地図だけを
頼りにサガルマータを目指す事にした
しかしインドより5日間、今日まで下痢が続いている
そしてあまりにも運動不足の身体
トレッキングのスタート地ルクラからエベレストまでの
往復約10日間目的は達成できるであろうか?
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