kaito akimoto  
  


 
 
Nepal Himalaya
Island Peak 6189m


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アイランド・ピーク日記

2004年1月8日  
チェンナイ・レジデンシーホテル〜バンガロール〜ネパール

朝6時Pさんに別れを告げ見送られて、
一足先に消え去ることをあやまり
ホテルをあとにする
明日のPさんの離陸まではハリッシュに託した

オートを120ルピーで交渉し、まずはCITIBANKのATM
でネパール登山用に不足していると思われた金額を
引き出す

6時半過ぎ空港着
チェンナイからバンガロールを目指す
そしてロイヤルネパール航空に乗り
カトマンドゥに入る予定だ

チェンナイからバンガロールの
国内線のチェックイン
クライミング・ギアなどの装備のため
荷物が42kgになっている
22kgオーバーである
600rpを支払う
必要なものしか入れていないので
仕方がない

バンガロールへの飛行機はまたもや遅延
1時間ほど遅れるようだ

ロビーで飛行機を待つあいだ
X、Z、Pさんのガイドを無事に終えた
安堵感、重なる睡眠不足、疲労困憊の
ためどうしても寝てしまう
乗り過ごしてはいけない、という緊張感
のため、なんとか起きようとするが睡魔には
勝てなかった

しかしタイミングよく目が覚めて
事なきを得た

チェンナイまでは離陸後、完全熟睡していた

11時過ぎバンガロール空港着
国際線乗り口へ移動する
ロイヤルネパール航空も遅延のため
ゲートの外で待たされる
今回は飛行機には振り回されっぱなしである

約30分後ゲートが開きロビーに入る
しばし待ち時間があったため
なるべく少ない超過料金ですむように、
ロープ、カラビナ、テント、ユマール、重い食料、
シャンプー、洗剤などの液体物
などを36リットルのザックに詰めこみ
機内持ち込み荷物にする

預ける荷物のセキュリティー・チェックを
受け、搭乗券をもらうためチェックインカウンターへ

預ける荷物35kgで15kgオーバー
1kgにつき90rpの超過料金で1350rp支払う

イミグレーションを通過し、手荷物チェック
ハプニングはここで起きた
ロープとカラビナ、ユマール、フォーク、テントのペグ
はみな機内持ち込み禁止だと言う
もう一度チェックインカウンターに行き
預けろと言ってる

怒りがこみ上げるが
反抗しても埒が明かないと判断し
再びチェックインカウンターへ

さらに5kg分の超過料金450rpを払い
手荷物チェックを通過し搭乗ロビーへいく

カトマンドゥへのフライトは1時間半遅れ
じっと待つ

これから全く質の異なる世界へと入っていくのだ
シヴァの葉、そして山、私の中では共通した世界観がある
見えざる世界との接点を探しているのだ

飛行機は飛び立った機内食をがっつき
あっという間に熟睡した

17時半、ネパール・カトマンドゥ着
US30ドルでヴィザを取得し空港を出る

思ったより寒くない
14度くらいだろうか
きょろきょろしていると
「KAITO」
と書いた紙を持ってランカが立っていた
話を聞くと14時ごろから待っていてくれた
ようだ
3時間近く待たせてしまった
14時半にバンガロールを発だと
メールで伝えたのだが、うまく伝わらなかったようだ

タクシーに二人で乗り込み FUJI GUEST HOUSE へ

チェックインし、ランカと晩飯を食いに行く
ファイア&アイスに向かう
パスタとピザのうまい店だ
ひさびさのトマトソースのパスタに感動する
ビールも喰らう

ランカは、酒、タバコ、はやらない
えらい、山岳ガイドだからである

再会を喜び、その後簡単な打ち合わせをする
10日の朝、ルクラに飛ぶことにして
明日9日は書類の申請やギア・チェックを
行うことにする

標高5000m以上のアイランド・ピークは
ベースキャンプから上はマイナス15度以上になると言う
私にとっては未知の世界だ
アイランドピークは6189m
前回のエベレスト・ベース・キャンプは5300m
未経験の高度に加えて、未経験のマイナス15度の世界
そこはどんな世界だろうか

20時ホテルにもどる
着の身着のままベッドにもぐりこむ
部屋の電気を消す気力もなく気を失う

夜中に何度か、部屋が乾燥していたため
のどがからからになり目覚めるが
サイドテーブルに置いてあったグレープジュースに
手をのばす気力がわかず、再び眠り込んだ


2004年1月9日  ネパール・カトマンドゥ

ノックの音がした
反射的に飛び起きた
ランカが来た様だ
今日は一日、アイランドピーク登山に
向けての準備に費やす

まずは両替
滞在するタメル地区には
多くの両替所がある

まず、ルクラへの飛行機代186USドル
ランカの飛行機代は104USドル
アイランドピーク登山許可申請料 360USドル
トレッキング・パーミット 1000ネパールルピー 分の両替を行う

出だしから躓いた
インドのCITIANKでおろした
インドルピーをドルかネパールルピーに替えようと
思ったのだが、私が差し出した札束に渋い顔をされた
それはインドでもめったに見ない1000rs紙幣だったからである

これはたまたまATMで引き出したときに
でてきたものだ
インドでは50rs、100rs紙幣が一般的で
1000rs紙幣はめったに見ない

あーだのこーだの言いながら、最終的には
100インドルピーを150ネパールルピーと
いうレートでネパールルピーに両替してくれた

部屋にランカと戻り
ルクラへの飛行機代、登山申請料、トレッキング・パーミット料金
を渡し、彼は書類の申請に駆け回った

私はまず韓国料理屋でラーメンをすする
そして今回、いくら登山にかかるのか、
経費をどこでおさえるかを考えあぐねる

その後、前回のベースキャンプ・トレッキングの時に
滞在したときに数度訪れたことのある
ベーカリーでカプチーノをすする
とてもうまい、人間の食い物である
インドチャイに慣らされた体が目覚める

アイランドピークのMAPを買う

11時過ぎホテルにもどり
ランカと再び合流
クライミング・ギアのチェックを行う

既にあるもの 55cmのアイスアックス
         9.9×60mのロープ
         スノーバー×1
私が日本から持ち込んだものだが
この他にナムチェ・バザールで
         80cmのピッケル
         ロープをもう一本
         スノーバーをもう一本
をレンタルすることにする
その他テントなどは私が持ってきたものを使う

ランカにガルベージ・デポジット料金250USドルと
クライミング保険料、一人50USドル×3人分(私、ランカ、ポーター)
分が必要だと知らされる

この話はメールの打ち合わせではなかった
話なので面食らってしまう
しかしこのガルベージ・デポジット(ごみ・デポジット)は
下山後、全額返金される
不法投棄をしなければよいので
250USドルと保険代50USドル×3を払うことにする

再び両替商へ、また渋い顔をされるが
強引に説き伏せて、インドルピー1000rp紙幣を
ネパールルピーに両替してもらう

余談だがこの1000rp紙幣は
ネパールの銀行が受け入れを拒否しているため
両替できない両替屋もある
妙な話だがインドルピー100rpと50rpと1000rp紙幣に
よって換金レートが違う
生まれてはじめての経験である

前回の2003年4月では日本円を持ち込んだため
全く問題はなかった

両替を終え、また部屋に戻り
保険代とガルベージ・デポジット代を払う
ランカは再び手続きに走った

私は部屋中に広げた今回の装備の
パッキングに入った

その後、インターネットカフェにノートパソコン
を持ち込みネットに接続
非常に簡単につながった
普通はこうなのである
インドがおかしい

ランカとの待ち合わせの時間がせまり
ネット作業を切り上げて部屋に戻る

その途中、Pさんのインドでの滞在ホテルに
電話を入れ無事に帰国したかどうか
確認する
無事にホテルをチェックアウトしたようだ
一安心する
本来は最後まで送り届けるのが
すじだが、ネパールへのフライトが週一便
しかなく、ランカとのスケジュールの兼ね合い
で私はやむなく一日早く失礼させてもらった
ハリッシュにあとを頼みネパール入りをした

部屋に戻りランカを待ちながら
頭の中はぐるぐると回っていた
ネパール入りするまでは今回の
アイランドピーク登山の打ち合わせは
すべてメールで行っていた

そのメールで登山に必要な費用は
約1000USドルと言われていたので
1600USドルほどしか持ち込んでいなかった
予想外のガルベージ・デポジットとクライミング保険
のため手持ちがきゅうきゅうになっていた

ガイド料を安くしてもらうより
手はなかった
そんなことを考えていると腹ペコになった

ランカが部屋にもどってきた
思いのほか申請に時間がかかったようだ
日本食屋・ふる里に行くことにする

ランカはてんぷらうどん、私はとんかつ定食を食べる

食事がくるのを待つ間、銭闘開始
メールでの打ち合わせになかった
ガルベージ・デポジットとクライミング保険代の400USドル
の出費のためピンチだと伝える

ガイド代金ディスカウントをお願いする
私、ランカ、ポーターの一日のガイド代、ロッジ代
食事代、全て込みで、一日25USドル

これかけるルクラからの登山日数
25USドル×14日=350USドル
これをさらに300USドルにしてもらう
加えてクライミング・チャージ、(ベースキャンプより
上部のガイド代、アイランドピークのベースキャンプ
から上は危険がともなうため、一日50USドル
のクライミングガイド代が発生するが
この代金がメールの打ち合わせでは150USドル
だった)をただにしてくれた

こんなにいい人には会ったことがない
とても珍しい人だ

ランカ自体は「セカイ」というトレッキング会社に属しているが
私がその会社を通して登山を依頼すると
当然高く値段がつくため、ランカとは会社抜きで個人的に
話を進めていた

そのため今回はランカは会社に母親の健康状態が
悪いということを理由に私との登山のために
休暇を2週間とってくれていた

そのためこれほどのディスカウントが可能となったと思われた
感謝である
前回のトレッキングでいい人にめぐり会ったものだ

最終的にトレッキング&登山料 300USドル(ルクラ〜アイランドピーク〜ルクラ)
という値で商談成立し、私は大満足、ランカに大感謝をする

三度、両替所を訪れ両替する
300USドルの半分を彼に手渡す
残りは日程のちょうど半分の日に支払うこととなった
ランカ帰宅

私はたまっているインド日記の一部を書き上げ
ネットカフェに赴きホームページの更新をする

21時FUJI GUEST HOUSE にもどり
最終パッキングする

そして0時就寝


2004年1月10日 カトマンドゥウ〜ルクラ・登山スタート  DAY 1

5時、目覚ましが鳴る
二度寝をしながら、いよいよだなと
緊張感が高まる

5時15分、起きて着替えをする

5時30分きっかりに外にタクシーが来た音がする
ランカの迎えだ

FUJI GUEST HOUSE にノートパソコン
いらない着替え、携帯の入ったかばんを
預け、カトマンドゥ国内線空港へ

6時着、6時半 SITA AIR のチェックイン
ランカ、私と30gまでは預ける荷物は無料だが
総重量57kgになり、760ネパールルピー
を超過料金として支払う

7時発の予定だったが、エンジントラブルの修理の
ため9時まで待機
他の YETI AIR 、BUDHA AIR 、GORKHA AIR
の客はすべて行ってしまった

9時過ぎようやく声がかかり、小型バスに乗り
ルクラへの小型飛行機まで運ばれる

驚いたことに小型飛行機の座席がすべて
取り外されて機外に投げ出されている
客は私、ランカ、そしてロッジの経営者が一人の
合計3人である

このロッジの経営者の荷物が機外に
山積みにされている
どうやらこの荷物を人間の代わりに運ぶようだ
積み込みがようやく始まった

我々は外に投げ出された座席に座り
ただその作業を見つめていた

20分後、積み込みが終わり、たった一人の
スチュワーデスに どうぞ と案内された

機内を見て驚く
最前列2席、最後部3席を
除いて、すべての座席が取り払われ
代わりに荷物が満載となっている
人間より荷物メインである

ランカとロッジ経営者は最前列へ
荷を踏みつけながら頭をかがめて歩いていく
私はスチュワーデスと最後部に落ち着いた

綿を耳に詰めて、いよいよ離陸

窓からの山々の眺めがすばらしい

わずか28分でルクラ到着
時間は9時45分

ランカは声をかけてきた男を
ポーターとして雇うべく交渉開始
商談は成立したようだ

空腹だった
昨日夕方5時ごろにとんかつを食べて以来
何も口にしていない
クーンブ・リゾートに朝食をとりに入る
2003年4月にはじめてランカと会った場所である

朝食はララ・ヌードル(ネパールのインスタント・ラーメン)
とミルク・ティー
そのあと簡単に荷物を整理する

10:40 トレッキング開始、快晴、気温18度くらい
薄手のベースレイヤー、パタゴニアR2、オーバーシェルの
組み合わせでは熱過ぎた

小休止のときシェルを脱ぎ、ベースレイヤーとR2だけになる
空気の薄さを体感する
しかしすぐに慣れた

ランカが13人兄弟であることを知る
大人数過ぎる
彼は父・香港人、母・ネパール人の混血である
なるほど何かが一味違う気がしていた

ポーターは私の20数キロのパタゴニアの
ブラックホール・バッグと自分の荷物
ランカのサブザックなど総重量35kgあまりを
背負いたんたんと着いてくる

ランカは途中からウオークマンを聞きながら
歩いている
私もたんたんと歩く

12:05 タドコシ村のSAINO LODGE で一休み
       ミルク・ティーでブレイクをとる

12:45 スタート
       気温が上昇し、汗が流れる

13:40 ファーディング到着

今日の宿泊予定地である
あっけなく本日の行程終了
わずか3時間のトレッキングだった
しかし高度に体を慣らしていくため
無理は禁物である
しかしインドでの疲れがピークに
達しているので、これくらいで初日は
OKであろう

KHUMB TRAVELLER’S GUEST HOUSE
にチェックイン
モモとララ・ヌードルを昼食にとる
缶ビールも飲んでしまう
ゆったりと流れる時間が心地いい

16:30 睡魔に襲われる
逆らうことなく部屋で昼寝開始

19:00 目覚める

外は真っ暗だった
空を見上げると満点の星空である
迫ってくるかのような勢いだ

ダイニングホールへ晩御飯を食べにいく
ランカが現れた
ダルバート(ネパール式カレー)を注文
ヤクの肉とじゃがいもが入ったカレーだ
はじめて食べるこのカレーは案外においしいものだった

昨日の日記を書きながらランカと談笑する
彼はエベレスト無酸素2回
K2無酸素登頂2回
チョオユー4回
などと経歴をもつ強者だった
そのソフトなみかけからは想像がつかない

過去に高山病にかかったことがないのか
たずねてみる
「ない」と言う

彼は子供の頃から、3000から4000m
の高地遊び、荷を運んでいた
どうりで納得である

ひじょうに性格も裏表がなく、穏やかで
酒、たばこにも手をつけず、まじめないい青年である
よきガイドにめぐり合えてよかったと思う

21:30 それぞれの部屋にもどる
時計を見ると3度
気温的には低いが極地用のダウンジャケット
を着ているため快適である
これは出発直前に6万以上するものを
3万円未満で購入した

インドでの疲れが残っているものの
体調は悪くない

今はオフシーズンのため、トレッキング客も
少なく静かなときを送る

ダウンジャケットを着込み、足腰は寝袋に
突っ込み、窓から少し欠けた満月を見上げ
横になった

2004年1月11日 ファーディング〜ナムチェ・バザール DAY 2

7:00 目覚ましが鳴る
時計を見ると温度計が0度である
が思ったより寒くない

7:30 オムレツ、トースト、ミルクコーヒーの
朝食をすませる

8:35 出発
前回と違い、全く頭痛もない
天気は快晴
心地よい軽い筋肉痛があるくらいである

9:30 気温が上昇し、シェルを脱ぐ

10:00 BENKAR GUEST HOUSE
の EVEREST SHOP で休憩
ここの店番の女性がとても美人である
そのせいか、あとから来るガイド、ポーター
トレッキング客は皆休憩する
そして彼女に言葉をかけていく
ほほえましい光景である
私も調子にのり、半熟ゆでたまごを注文

10:30出発

11:15 MONJO の KHUMBILA RESORT で
再び休憩
45分しか歩いていないが
少し疲れてきた感がある
ララ・ヌードルとミルクコーヒーをいただく
この店の子供たちがランカのウオークマンを
聞きながら、キャーキャーとはしゃいでいる
デジタルビデオでランカに撮影してもらい
さらに熱狂していた
太陽も暖かく穏やかなひと時が流れる

11:50 出発
5分後サガルマータ国立公園のチェックポストに着
トレッキングとクライミング・パーミット、そして
パスポートを提出、申請を済ませる

ここにいたる直前デジタルビデオはザックに
しまいこみ隠した
ビデオを持ち込むと余分に手数料がかかるからだ

JORSALE をすぎたあたりから
徐々にきつさを感じるようになってきた
高度2800m近い
自分の息づかいに耳を傾けながら
静かにゆっくりと
高度をかせいでいく

13:07 岩につまづき転倒しそうになる
あわててうしろについていたランカが
私のザックのストラップをわしずかみにする
自分で思ったほどは右足が上がっていなかったようだ
つまずいた原因だ
疲れてきていることを自覚し短い休憩をとる

高度が上がってきていることと
勾配がきつくなっていることが重なり
けっこうきつい

13:45 3118mのところの
ちょっとした休憩広場でレスト
スポーツ・ドリンクでのどをうるおす

ランカにとっては1000回以上往復している
この道はなんでもないようだ
片足でヒンズー・スクワットをしながら
私を見てにこにこしている

私は体を休めることに専念
じっとしていた

14:15 スタート
高度が上がってきているので
太陽はでているのだが風がみょうに冷たい
汗が風で冷やされて風邪をひきそうになる

ひじょうにゆっくりと高度をかせぐ
時に立ち止まり風景を見ながらレストする

太陽が隠れてしまい風があまりに冷たく
急激に体が冷える

18kg近い私のザックを下ろし
シェルを取り出し着込む

ナムチェ・バザールは目前である

15:15 ナムチェ・バザール着
KALAPATAR LODGE に入る
私の腕時計の高度計では、3399m
近くの看板の表示では、3440m
いずれにしても空気がうすい

腰をおろし、心地よい安堵感に満たされる
気持ちのよいダイニングをもつロッジだ

このロッジでは高所順応のため2泊する

このあとの村、DINGBOCHE でも2泊する予定だ

とりあえず、みかんとチャーハンを食べる
そしてデジタルビデオのバッテリーの充電開始
1hr=70rs の費用がかかる
電気はこの場においてはあまりに貴重なエネルギーである

ホットシャワーの用意を依頼し
部屋に入り、昼寝開始
40分後、シャワーの用意ができたことを知らされる

早速シャワールームへ
用意というのは25リットルの
水を沸かしてシャワータンクに入れることを言う
つまりホットシャワーは25リットルという制限つき
4分ばかりの戦いである

2003年4月ではこの時間制限を知らず
大変な目にあった
今回はまず裸になりシャンプーを傍らに置き
戦闘用意を整えて望んだ

シャワーコックをひねると、数秒の冷水のあと
お湯がでてきた
湯加減の微調整はできない

少々熱いのだが我慢する
頭から湯を浴び、すぐさまシャンプー開始
その泡を利用し、全身を手のひらで撫で付ける
体を洗っているつもりなのである

大体泡が体から流れきったかどうか
の時点で急にシャワーの勢いが衰える
終了の合図だ

2日ぶりのシャワーは極上のテイストだった
スカッとした気分

ダイニングにいくと、ヤクのふんを乾燥した
燃料でダイニング中央のストーブに
火が灯っていた

それにあたりながら日記をしたためる
今夜のここのチキンカレーは激うまだった

 

2004年1月12日 ナムチェ・バザール(高所順応日) DAY 3

朝8時に部屋をノックされる
ランカだ
この日は高所順応を兼ねた
休養日のためまったりと過ごした

午前中に軽い散歩
午後は川に洗濯
そしてガソリンストーブ用の燃料ケロシンの調達

ケロシンでうまくMSRストーブが機能するかどうか実験した
結果はOK

サンルームから見える山を眺めながら
書き溜めていたインド日記を執筆

幸せな時間が流れる
リラックスしている

オフシーズンのため
人も少なく静かなものだ

夕方、急に「コンニチワ」と声を掛けられる
日本人だった
カラパタールを目指していたが
体調が良くなく、食欲がなくなり
下山してきたようだ
日本人同士なので話が進む

昨日のチキンカレーをもう一度
食べたいと思い注文したが
今日はチキンはなく
ミートカレーとなった
昨日より味は劣ったが
案外うまかった

21時には部屋にもどり就寝


(私のポーター・ガネーシャ 40kg近い荷物を運ぶ

 

2004年1月13日 ナムチェ・バザール〜タンボチェ DAY 4

完全に熟睡していた
目覚ましが鳴る7時少し前に目覚める
少し頭痛がする

時計の気温計はー0.7度
着替えとパッキングを開始する

7:40 朝食、トースト、オムレツ、ミルクコーヒー
気が付けば頭痛は消えていた

8:50 今日の宿泊予定地
タンボチェを目指しトレッキングを開始
天気は快晴
ライトウエイトのベースレイヤー、パタゴニアR2、
そしてシェルで歩き出すが、すぐに熱くなり
パタゴニアR2のフリースを脱ぎ
ザックにしまいこむ

約1時間50分、なだらかな道が続き
心地よくトレッキング
アマダブラムが良く見える

10:40 SANASA 着
ホットレモンを飲み休憩
仏陀のネックレスと数珠を購入
合計270rs

数珠はインド出発前、約1週間前に亡くなった
私の祖母の冥福を祈るため
アイランドピークの頂上に埋めるために購入
右手にはめた
仏陀のネックレスはロッジのおばちゃん
につけてもらった

11:10 スタート
12:00 プンキテンガ 3267m に着
軽い昼食、ララヌードルを食す
小雪がちらつきだした

ここから今日の目的地タンボチェまで
約600mの高度差を上がる
デジタルビデオカメラに防水カバー
をかぶせ中間着にフリースを着てスタート

呼吸が乱れぬよう静かにゆっくりと高度をかせぐ
フリースを着たのが失敗だった
暑く、汗が流れ始めた
しかし脱ぐという行為が面倒くさく
歩き続けた
額から汗が流れ落ちる

13:00 5分間の小休止、体が冷えだす
そして再び歩き出す
30分くらいたった頃だろうか
腕時計の高度計が3780mを示す
富士山と同じ高度に到達
デジタルビデオカメラにその旨を自分で報告

それから10分くらいだろうか
ランカに
「タンボチェ」と言われた

14:14にタンボチェ着
ヒマラヤン・ロッジにチェックイン
思ったより簡単に到着

前回の2003年4月のベースキャンプまでの
トレッキングでは、この同じ道のりで
結構苦労したと記憶していたが
今回はそうでもなかった

ナムチェ・バザールでの高所順応の2泊が
効いているのかもしれない
登りのペースも意図的にかなり
ゆっくりと歩いているので
その点もよかったかもしれない

窓から見える天気は下り坂
ガスで見通しが悪い

部屋に入り荷を解き、そのあと
ホットレモンとシェルパ・シチューを食す

ダイニングのストーブに薪を入れ暖をとる
ネパール語講座をして遊ぶ

外は雪が降り出し、かすかにその雪は積もった

19:00 ネパール式ミートカレーを食べる

20:30 部屋に電気はなく、ろうそくの灯りでなごむ
室温ー3度、部屋のなか、吐く息が白い

 


(気温マイナスのため、シャワー後すぐに髪が凍ってしまう)

2004年1月14日 タンボチェ〜ディンボチェ DAY 5

夜中の1時30分 夢を見たせいか、
体が酸素の薄さを拒否しているせいか目覚める

もう一人の祖母(父方の)が夢にでてきていた
虫の知らせだろうか
不安になる

ポカリスエットを少量体に流し込み再び寝る

5時にまた目覚めてしまう
また夢を見ていたようだ
変な感覚である

7:20 目覚ましが鳴り起きる
もう少し寝ていたい気分だ
気温ー3.5度

ララ・ヌードルを朝食に採りパッキングを済ませる

8:35 出発
衛星電話屋があり、日本に電話をかけ
虫の知らせに関する確認をとろうと
思うがまだ営業しておらず断念する

昨日の雪のため、景色は白い
5〜8cmほど積もっている

足が冷えることを予想し、靴下をスマートウールの
厚手のものに替えておいた
ひじょうに暖かい

10:20 パンボチェ
天気はよくない、ガスっている
風が冷たくなってきたため
べースレイヤーの上にR2を着る

11:50 空腹に耐え切れず
日本から持ち込んだカロリーメートを食べる

12:00 SOMARE 着
昼食にシェルパ・シチュー
これが美味であった
ヤクの乾燥肉が入っている

カレーやシチューの味はロッジによって
大きく違う
ここのシェルパ・シチューは格別にうまかった

12:50 スタート
体が重い、寒さを感じる
さらに風ガ冷たくなってきている

13:50 たんたんと歩き続け
TSURO に到着、8分の立ち休みのあと
トレック開始

15:05 ディンボチェ ヒマラヤン・ロッジ着
4268m、比較的順調なトレッキングだった
着いた頃から晴れ間が見え始め
今回の目標としているアイランドピークを肉眼で
捉えることができた

加えてこのロッジからは、アマダブラム、ローツェなどの
眺めもすばらしい
ここに着くまではガスっていたため全くわからなかった

ホットシャワーを用意してもらう
約30分ほどで声がかかった
タオルとシャンプーを持ちロッジの外の
掘っ立てシャワー小屋へ
1m20cm四方の大きさに
半透明プラスティックのかべで囲み、
その上に屋根があり、50リットルくらい
水が入りそうな黒いタンクがのっかっている

ランカが厨房で沸かしたお湯を
そのタンクに流し込んでいる
約3分ほどのシャワーだろう

外はマイナス気温のため、相当気合を
入れてシャワーに望んだ

急いで服を脱ぎ、マイナス気温に耐えるため
全身の筋肉を緊張させ、シャワーコックをひねった
シャワーは申し訳ないほど勢いのないもので
たらたらと熱い湯がしたたる感じのものだった

頭髪から湯を全身にゆきわたらせ
シャンプーを頭にかけ、その泡で全身をなすりつけた

5分後、シャワー終了
途端に体が冷えだす
あわてて服を着込む

暖をとるため、ダイニングまでわずか20mを歩く
驚いたことに、そのわずかな間で頭髪の水分が
凍ってしまい髪の毛が逆立っていた

その様子を見てランカはかなりうけていた

太陽が顔を出し、天気は良いがとにかく寒い
この先、やわな私はこの寒さに耐えられるだろうか
今はダイニングのストーブに火が起こされ暖かいが
一歩外へ出ると猛烈に寒い

しかしこのロッジはとても居心地がよく、
このロッジで働く皆のものとデジタルビデオカメラ
遊びをし、大いに盛り上がった
食事を作る係りのおばあちゃんは
自分の姿をカメラを通して見て
キャーと奇声を上げていた

液体やジェル状のものは、全て凍り始めた

ストーブの脇を陣取り、2時間ほど
時が流れるままにまかす
いい感覚だ

最近の定番メニュー、ミートカレーを食す
ここのそれもまた、うまかった
昨年のトレッキングと違い、今回は
食欲もありダイニングでくつろぐ余裕もある
体調がいい証拠である

 

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