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2005年1月26日 南インド チェンナイ 23時
数日前から咳が止まらない
出発前に体力を万全に整えてから出発したかったが
結局、咳は止まるどころか毎日ひどくなっていた
ウイルス性なのだろうか
いつもと変わらぬマレーシア・エアでのインド入り
いつもよりも長旅に感じる
空港は周辺はいつもと変わらぬ様子だった
入国した途端にタクシーの運ちゃんが客引きに寄ってくる
半分無視しながらホテルまでの値を聞いてみる
260ルピー、それほど悪くない
もう交渉する気力もないのでOKする
町を見ていると津波の影響を感じられない
またその雰囲気もまだ実感しないままだ
今回もいろいろなことがあるだろう
津波、 2月からはお客様の案内もある
ガネーシャの葉、キリストの葉は今回探すことができるだろうか
激しい日々の幕開けだ
2005年1月27日 チェンナイ〜シバサミーの館
午前中、津波の被害に関する活動をしている
知人に会い津波などの話を聞く
私が日本の新聞で見た被害の実際には3倍もあるという
特に被害の大きい場所の名前を記憶にとどめた
機会を見つけこの目で確かめてみようと思う
しかし当たり前かもしれないが
オートリキシャーに乗り町を流している感じでは
いつもと変わらぬ見慣れたインドである
15時にタクシーを予約していたため
大急ぎでホテルに戻った
待てども待てどもタクシーは来なかった
痺れを切らした20時すぎ、ようやくホテルにタクシーは現れた
聞けば津波の影響で道中トラブルがあり
大幅に迂回してきたのだという
しかし2時間半の道のりが8時間かかっているという
のもおかしな話である
中途半端な英語しか理解せぬ
タクシードライバーとでは意思の疎通が図れず
真相はわからずじまいだった
月のきれいな夜空を眺めながら
タクシーは館に近いホテルに向かった
ホテルに着いたときには午前1時をまわっていた
2005年1月28日 シバサミーの館
ネットの接続を朝一番で行うが失敗
あいかわらず、通信環境が悪い
午前中ラトラクマールのタクシーに乗り、翻訳者マニ
の自宅へ向かう
ギプスが取れたばかりだという左手の手首はこころなしか
ほっそりとしていた
どうやら仕事を再開したようだ
今日からは”KAITOのみの仕事を行う”といってくれた
そう願いたい
2月中旬までには前回までのたまっている翻訳分をすべて終わらせる・・・
との約束を取り付けた
今回ばかりは守ってほしい
3重にも確認をとってマニの家をあとにした
午後からは館に赴き
追加検索の依頼
そして新規検索に入った
検索は何度行っても興奮する
葉が特定される一歩前の緊張感がたまらなくいい
午後2時から6時半までのあいだに
3人分の葉を特定した
あいかわらず、切れ味のいい検索だった
2005年1月29日 シバサミーの館
土曜日なので館への人の出入りが激しい
自分の葉を求めてインド各地から人が集まっている
1日かけて新規検索4人分を特定した
すべてが苗字やセカンドネームを含む情報が書かれており
納得のいく検索過程だった
それにしても朝、夜、3時間、ネット接続に苦戦
結局接続させることができず止む無く断念
今回ばかりはいい方法が見つからない
2005年1月30日 シバサミーの館
7時に起床し、早朝から約2時間ネット接続を試みるが
まったくうまくいかない
すでに3日目である
ここまでつながらないのも珍しい
今まではかろうじて接続方法を見つけたが
今回ばかりは無理かもしれない
9時より検索開始
こちらはすこぶる調子がよい
ほとんどストレスなく、苗字を含む詳細が
読み上げられる
満足のいく検索で順調に6人の葉を特定した
しかしホームページやメールでの報告が遅れているため
皆心配していることだろう
夕食後、2時間にわたって再びネット接続に挑戦
インドのアクセスポイントはすべてつながらず
ネパール、マレーシアの接続ポイントにつないでみる
マレーシアのクアラルンプールの接続ポイントに
奇跡的に1分ほどつながったが回線状況が悪く
途絶えてしまった
明朝の人々がネットをあまり利用しない時間帯に
また挑戦するしか手がない
2005年1月31日 シバサミーの館
朝5時起床、まだ人がネットを多数利用していない時間を狙って
接続を試みる
1時間半、粘ってみるが結局惜しくもつながらない
ホテル1泊の半分の料金がかかってしまった
なんとも馬鹿馬鹿しく腹立たしい
今日の検索は合計4人、しかしその中の
一人は最後の特定の過程が気に入らず
後日、やり直すことにした
ナディをかけてもう一度こっそりと
検索をかけるのだ

13章の葉から巡礼すべき寺の名前とフリーミールの内容を書き出す ティル
2005年2月1日 シバサミーの館
今朝もわずかな望みにかけて
ネット接続を試みるがまたもや失敗
接続できないにも関わらず電話代だけはやたらにかかる
結局つながらず
書き溜めたメールが送信されないままに
たまっていく
館に到着して丸5日
これほどにつながらないのは初めてかもしれない
解決策が見出せない
今日は平日だったのだが葉を捜しにくる
人の出入りが多く検索はなかなか進まなかった
新規検索一人特定
そして午後からはアートマ・ビシャラナの検索
この検索は極度に緊張する
決してミスできない緊張感が走る
この葉の検索過程では
”本当にそんなことが書いてあるのか?”
と思うほど細かな質問が飛んでくることがある
生年月日、没年月日、性別、依頼した人の名前(苗字除く)
をナディにわたし、検索開始
最終的に苗字、名前、どのように亡くなったのかなどの
情報が一致し特定された
夕方からはカルティックの弟、ダムダールに検索
をお願いした
時間はかかるが丁寧で正当なやり方で検索をしてくる
こちらが当たり前にもっていない情報でさえも
何食わぬ顔で聞いてくるからかわいい
結局2バンダル検索かけても葉が特定されず
3バンダル目からは明日に持ち越しになった
2005年2月2日 シバサミーの館
合計4名の検索を終える
しかしそのうちの2名の葉の出方がどうしても気に入らず
後日、他のナディでこっそりと再検索をかけようと思う
ネットはつながらず
日記との更新と書き溜めたメールが増えていく
4日からは日本からお客様がくるため
忙しくなりそうだ
明日は深夜列車でバンガロール移動する
その前にこの近辺で一番津波の被害の大きかった
ナガパッティアムの視察に行こうと思う
ある人の話では1000人の死者
ある人の話では1万人以上亡くなっているという
日本の新聞の公式発表ではインド全体で約1万人
の死者だという
こちらではそれ以上だという話を聞く
統計がはっきりととれないのが事実なのだろう

2005年2月3日 シバサミーの館〜バンガロール
この日は、アートマ・ビシャラナの検索をかけた
生年月日、没年月日そして検索を希望している方の名を
ナディに情報として渡す
バンダルが解かれ、約1時間かけてその亡くなった魂
の葉を探した
質問の内容は魂が亡くなったときの詳細にまで及んだ
葉が特定されてすぐ、葉を小冊子に書き写してもらい
カルティックにその場で簡単にアートマ・ビシャラナ・カンダムの
内容を訳してもらう
詳細は個人情報のため記せないが
その魂の物語は驚くべきものだった
その亡くなった魂の過去世の詳細、どのようにして
過去生の魂が死を迎えたか?
そしてその過去世との、どのような因縁で今生その魂
が他界することになったのかが記されていた
それは私がこれまで体験したアートマ・ビシャラナの中でも
もっとも驚くべき内容が記されたものだった
その内容をカルティックから耳にしたとき
背筋が凍りついた
そして直感はこのストーリーは真実に違いないと語っていた
ナディさえもその内容に感嘆の声をもらしていた
この日はこの検索の結果の余韻をひきづったまま
バンガロールに移動することになった
バンガロールへ向かう深夜列車のなかで、いつまでも昼間の
検索内容が思い出された
何千、何百年にわたる魂の物語の奥深さに心をうたれた
2005年2月4日 バンガロール
夜遅く、日本からのVIPのお客様と
妻そして妻の弟子、合計5人をバンガロールの空港で迎えた
緊張と忙しいスケジュールの日々が幕を開けた
2005年2月5日 バンガロール シュカの書
2ヶ月前から予約をしておいたシュカの書のムルティ氏の
もとを訪れる
事務所に着いた瞬間、大幅な改造・改装中だったため
驚かされた
午前中から夕方まで5人の葉を検索してもらった
残念ながら、前回私が訪れた時に比べると
霊的な切れ味が落ちたような気がしてならない
一つは改装中の我が家が気にかかって仕方がなかったようだ
それでもポイント、ポイントの指摘ではかなり鋭い
ものがあったように思う
未来のことなのでなんとも言えないが
私の執筆のことを言い当てたのはシュカの書だけである
今回も次回の出版の内容のことを
ほのめかされた
果たして未来は、そのとおりに運ぶだろうか
2005年2月6日 バンガロール〜チェンナイ〜ポンディッチェリー〜シヴァサミーの館
ジェット・エア・ウエイズでチェンナイへ移動する
チェンナイのホテルに寄り、もう一人のお客様を
ピックアップしたあと、ミニバスとトヨタ・クオリスで移動開始
途中、ポンディッチェリーでおみやげ休憩
そしてランデブーで食事をとる
夜シヴァサミーの館に最寄のホテルに着
2005年2月7日〜11日 シヴァサミーの館
皆さんには、検索の体験、第13章の救済法、
巡礼とフリーミールの体験、アートマ・ビシャラナ、
アートマ・シャンティ・プージャなど考えられる様々な
体験をしていただいた
究極の葉(人生と魂の目的の章)の衝撃
妻の葉の衝撃
COMING SOON
2005年2月12日 チェンナイ〜カルカッタ・コルカタ
国内線で移動する
はじめてのコルカタは見慣れたインドと違う匂いがしていた
2005年2月13日 マザー・テレサの家〜カトマンズ・ネパール
カトマンズへの移動のためたまたま妻と立ち寄ったカルカッタ
その地には妻の敬愛するマザー・テレサが眠っている
ホテルからタクシーに乗り込みマザーの家に向かってもらう
タクシーは町部に入っていった
運転手は近くまではきたものの正確な場所が
わからぬようだった
車を寄せては人に声をかけ聞いている
そのうち運転手に「ここだ」
と言われ車から降ろされた
どこがマザーの家だか見当がつかずにいると
よく目にしたことのあるサリーが目に入った
それは真っ白なサリーに水色の3本のラインが入った
ものだった
マザーの意思を受け継いだ人々の着るサリーだった
マザーの家の入り口は大通りから路地を少し
入ったところにあった
マザーの衝撃
COMING SOON


マザーが眠っている石棺

2005年2月下旬 ネパール ヒマラヤ メラピーク MERA PEAK

メラピーク登頂

2005年3月吉日 ガネーシャの葉 探索
チェンナイから車で約8時間、ガネーシャの葉を探しにでた
ガネーシャの葉とは、私が2002年にインドを訪れた当初から
噂を耳にしていたものだ
それはガネーシャ神が、直接予言を口述しているものだという
それを聞いて以降、機会があるたびに様々な場所でその葉を探したが
見つかることはなかった
その葉がでてくることはとてもまれだと噂されている
しかし個人的には、その人が真剣に探す人の葉に関しては
「その葉がでるのはとてもまれだ。・・・」
といわれていたとしても必ず見つかるものだと私は信じている
そして半年ほど前に、あるかもしれない・・・
といわれた場所に行き、いよいよ検索をかけて
みることにした
検索はふつうと変わらず親指の指紋をとることからはじまった
実はこのガネーシャの葉を探してくれる
ナディには私の個人情報は多少なりとももれているかもしれない
そのため、検索過程の面白さは期待できなかった
知られているかもしれないことをナディに聞かれるのは
気恥ずかしいものだった
ナディの検索代行の仕事のこと
本の執筆のこと
芸名、そして妻の2つの名前、子供の構成にいたるまで
指摘された
検索において真新しいことを
指摘されたりなどはなかったが
生年月日や生まれた時間を指摘され
葉が特定されたときはやはり特別な空気が流れた気がした
ナディは「少しの部分でいいから訳してくれ!」
との私の願いを無視し、小冊子に書き写したあと
英訳者を通して私に内容が語られることになった
多少なりとも興奮したが、内容を聞くまでは
そのガネーシャの葉がどんなものなのか
信用に足るものなのか・・・はまったくもってわからない
久しぶりにその内容を聞くのが楽しみにで仕方がない
数日の辛抱だ

2005年3月10〜11日 シヴァサミーの館
新規検索に集中する
ティルニャーナム、ダムダールと交互に検索を行う
ティルニャーナムはあいかわらず切れがいい
一種の天才だ
今日は今までの最短記録の12分で葉を特定してみせた
たまたま葉が前半にあったのであろうが
それはそれは見事であった
一方ダムダールは時間がかかるがとても丁寧な
検索でまったくずるさがない
過去2年前から比べると確実にナディとしての成長を
遂げている
たまに兄貴分のティルに「もっとスピードをあげろ」
といわれて苦笑いをしているところがかわいらしい
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