kaito akimoto  
  


 
 
India diary

 

2004年10月版 南インド日記


僧侶          photo by mitsunaga

 

2004年10月27日 番外編

Zさんのプラチャナ・カンダムと「88の祈り」とスピリチュアル・レディ

(今年の1月・出版が決まった直後から本が完成するまでの流れについてです)


2004年8月18日
の日記を思い出してほしい
今年の1月インドに同行していただいたZさんのプラシュナ・カンダムの
ことを記したいと思う

Zさんは1月に訪印した際にプラシュナ・カンダム
(5つの質問に対する答えが得られる章)
でZさんは5つの質問を作成しナディに渡していた
その中のはじめの2つの質問はこういったものだった

     1・ 今回私をインドに導いてきた人の名前とその人が
        これから出版する本はどのような本になるのか?

     2・ 私(Z氏)の日本のグルの名前は?

それに対する葉の回答が以下のものだった(Zさんのプラシュナより一部抜粋)

Though it is so, due to the aftermath of his past birth karma, he may suffer from various problems, obstacles in spiritual progress and chances are there to suffer from mental oscillations, whenever he likes to fix up her mind in devotion and meditation. Evil influence of Saturn would also trouble him much. The man who likes to publish a book will also find a lot of problems through some secret foes and rivals. Deceptions, disappointments and other problems would cause heavy mental agony and tortures now and then. Chances are there to be seduced or misguided by some evil people. To nullify all such problems, he has to adopt the Kochara Remedies properly.
(彼の未来は前途あるものだが、過去生のカルマにより、彼は様々な問題、霊性向上を得るうえでの障害、精神的苦悩、霊的世界へ意識を向けるうえでの困難に苦しめられるだろう。
土星の悪影響もまた大いに彼を苦しめるだろう。出版をしようとしている男性もまた、隠れた敵や
ライバルにより多くの問題・障害がもたらされるだろう。
時として、騙し、失望、その他の問題が深刻な精神的苦痛を引き起こすだろう。
悪意ある人からそそのかされたり、誤った方向へ導かれてしまうかもしれない。
これらの問題すべてを退けるため、彼は KOCHARA SHANTHI における
救済法を適切に処方したほうがよいだろう。)

The man who has come along with him is a very great spiritual worker; his name is Norihito Okada (a) Akimoto Kaito. He is going to publish a book related to a very great shrine.
The book that this Kaito is going to publish would become a guide to the spiritual aspirants in future. He (Kaito) will have help and assistance from a spiritual lady and by sharing her spiritual experiences with him; she will give a very good shape to the book that he intends to publish.
(1の回答・ 彼{Zさん}とともにやってきた男性は偉大な霊的な仕事を行う人であり、
彼の名は NORIHITO OKADA 別名 AKIMOTO KAITO である。
彼は偉大な聖地に関係する本を出版するだろう。
この KAITO が執筆する本は、将来、霊的探求者にとっての導きとなるだろう。
彼(KAITO)は助けと援助をスピリチュアル・レディ-霊的な女性から受け、
その彼女の霊的体験を彼と共有することにより、
その出版物に磨きがかかるだろう。(よい、かたちに整えるだろう)。)

The name of the Japan Guru is Ougu Tenkei. He will have blessing and preaching from this Guru and it would help him to sharpen his spiritual wisdom. She will teach him to heap his concentration on divinity properly by showing various steps in spiritual life. Through this spiritual guru, he will be able to realize some divine secrets that it is mostly required for his spiritual elevations. Though she is married and living with her husband and children, she is more spiritual and interested in rendering selfless service to the spiritual aspirants and charities to the needy.
(2の回答・ 彼の日本の霊的導師の名は OUGU TENKEI である。
彼(Z氏)はこのグルから祝福と説法を得るだろう。そしてそれは彼の霊的英知を研ぎ澄ます
助けとなるだろう。彼女(グル)は、霊的人生・探求において”いかに神性に対して意識を向けるか?”ということを様々な方法を通して彼に享受するであろう。
この霊的導師を通して彼はある神仕組みを知ることになり、それは彼の霊性向上にとって不可欠なこととなるであろう。彼女(グル)は既婚者であり、 夫と子供とともに暮らしているが、彼女はとても霊的で霊的探求者や弱者に対する無私なる奉仕に興味を抱いてる。)
{2003年12月30日の日記にしるしています}


というものだった。
客観的に考えてZさんの検索の時には
私が連れてきているのだから、ナディに私の名がばれるのは仕方がない。
しかし、この時点で葉の中で”聖地・寺のことを記す”と予言されて
いたのは驚きであった。
四国八十八ヶ所はまぎれもなく偉大な聖地である

そして気になることが一点あった。
それは”霊的な女性が助けを差し出す”と記されていた点である。
この時点で私は翻訳者であるマニに
「この女性は私の妻か?」
と聞いていた
タミール語の小冊子に目をおとしたマニは
「いや、違う。君の妻とは別の人だ」
と言っていた。

私はZ氏とともに”では、一体誰なんだろう”と考えていた
誰か優秀な女性の編集者が助けてくれるのだろう・・と考えていた
妻も「じゃあ 〜〜さんかも・・・」
と言っていた

そして2月中旬、日本に帰国し「88の祈り」
の執筆がはじまった
編集長は男性だった
執筆は順調とは言えないまでも進んでいった
締め切り間際ではZ氏も私の事務所に泊り込み
前回同行したB氏も泊り込み
そして妻は執筆のはじめから原稿の締め切り最後まで
助け続けてくれた

私は「葉の中に記されてあった、霊的な女性はいつ
現れるのか?それとも葉が間違ったのか?」
と時折考えていた。
しかし最後までその人は現れなかった

脱稿後、8月中旬インドに渡り、検索やたまっていた
仕事をやりはじめた
帰国直前、9月初旬、Z氏より預かっていた
Z氏のプラチャナのタミール語の小冊子をカルティック
に見せた
そして1つ目の質問の回答部分に目を通すようにいい、
疑問に思っていたことを聞いてみた
「スピリチュアル・レディ、本の執筆を助ける
霊的な女性の名前は記されているか?」
カルティックはタミール語の小冊子に目を落とし
「スピリチュアル・レディ、執筆を助ける
霊的な女性の名は OUGU TENKEI である」
といった

一瞬わけがわからなかった
翻訳者マニの話ではスピリチュアル・レディは
私の妻ではないとのことだった

さらに突っ込んでカルティックに聞いてみると
1つ目の回答の最後に霊的な女性が執筆を助け、
その女性の名は OUGU TENKEI である・・
と書かれているとのことだった
そして2つ目の質問の回答にも
Z氏のグルは OUGU TENKEI と記されているとの
ことだった

つまり英訳には記されていないが
タミール語の小冊子(葉の原文)には 1つ目の回答
2つ目の回答 両方に OUGU TENKEI の名が記されて
いるとのことだった

愕然とした私は英訳の翻訳者マニにことの次第を問い詰めてみた
マニは 2つ目の回答に OUGU TENKEI とでてくるので
あえて記さなかったとのことだった

そこから誤解が生じていたのだった
しかし葉にはあらかじめ OUGU TENKEI(私の妻)
が執筆を助けるとの予言がはるか昔からされていたことが
明らかになった

そしてマニが
「執筆を助ける霊的な女性は君の妻ではない」
と言ったことの意味が急に飲み込めた

話は遡る 
2004年1月4日にインドからZ氏は帰国した

1月31日 妻は予告なしにインドにいる私のもとを訪れた
妻がインドを訪れた目的のひとつは彼女の新たな葉を捜すことだった
実は彼女は以前にシバサミーの館で葉を開いているのだが
本名の KEIKO という名はでてきているものの
彼女の仕事の名前である OUGU TENKEI という名は
その葉にはでてきていなかった

きっと1枚の葉の中に OUGU TENKEI と KEIKO 両方の名の記された
葉が眠っているはずだった

2003年12月30日にはじめて、Z氏のプラシュナの検索により
OUGU TENKEI の名がでたが、
この時点でナディリーダーたちは
「日本の女性のグルの名前がでた!
ノリキトはこのグルのことを知っているのか?
凄い人なのか?どんなグルなんだ?できることなら会いたい!」
と私を質問攻めにしたが
いずれ妻の両方の名の記された葉を検索するつもりだったので
「私は知らない、会えるものなら私も
その OUGU TENKEI というグルに会ってみたい!
一体、日本のどこにいるんだ?」
とうそぶいていた

つまり私の中では KEIKO = OUGU TENKEI 
であるというのは明白な事実なのだが
ナディリーダーたちの中では 私の妻 KEIKO と OUGU TENKEI
は同一ではなかった

2月1日、私は妻を伴い館に赴いた
(前回この日の日記は書いていません、すいません)
ナディリーダーたちは妻 KEIKO を大歓迎した
「KEIKO マダム ! KEIKO マダム」
といって大喜びをしていた
私と妻は並んで座り、1枚の指紋をナディに差し出した
実はこの指紋はこの日の朝に妻の親指から採ったものだった
その指紋を渡し、私はいつものように個人情報が記された
検索用紙をめくりながら検索をスタートさせた

これは一種のカモフラージュであった
本当は妻の葉 OUGU TENKEI の名が記された
葉を捜しているのだが、その場で妻が指紋を取り
検索をはじめ、妻が質問に答えると ”KEIKO” の葉を
まえもって探されてしまうので、手の込んだ芝居をしたのだった

偽者の検索用紙を見て質問に答えているふりを
しながら、実は妻の新たな葉を捜していたのだった

検索の結果はすばらしいものだった
この指紋の女性の名は KEIKO OKADA
彼女の夫の名は NORIHITO
私と妻は「YES」と答えた
ナディが「えっ」という顔をした
私はその葉の深読みを続けるように促した
「オォグウゥ デンケイィ」
「子供は4人、父親の名は・・・
仕事は・・・・・・・
夫の仕事は・・・・・」

とうとう1枚の葉の中に本名と仕事名、両方の名の
記された葉がでたのだった
そして、そこには彼女が誰にも語ったことのない
内容までもが記されていた
私さえも一瞬ナディが検索を誤ったのだと思った
シバマハー・シュクシュマムだった
以前開いた葉(マハーシバ・シュクシュマム)より、さらに詳細な内容が記されていた

OUGU TENKEI と KEIKO (私の妻)が同一だと
わかった瞬間、ナディリーダーたちは大声をあげた
「ノリヒト 昨年の12月30日に OUGU TENKEI のことは
知らないといっていたじゃないか!騙された!!」
「じゃ、マダムはグルなのですね!ヒャヒャヒャ」
「ジャパン・グルだ!!」
とお祭り騒ぎとなった

ようやく、彼らの中で KEIKO(私の妻)とOUGU TENKEI が
同一人物として結びついた瞬間だった
これが 2004年2月1日の出来事だった


つまり、マニが私に 2003年12月30日に
「執筆を助ける霊的な女性は君の妻ではない」
といったのは、私がこの質問を彼にした時点では
彼の頭の中では、プラシュナの1つ目の回答にでていた
OUGU TENKEI と 私の妻である KEIKO が
同一人物として結びついていなかったのが原因だった

このマニの言葉の直後から
彼の言ったことに振り回された私は
いつになったら、霊的な女性があらわれるのか・・・
と執筆中、目の前にいる妻の助けを得ながら
考えていたのだった

しかし、それは現れようのないものだった
執筆のはじめから最後まで
スピリチュアル・レディ OUGU TENKEI
は私を助けて大きな貢献をし、葉に記されていた通り
本をいい状態に仕上げたのだった

その時点で葉の真意を理解していなかった私は、
妻をプラシュナの中に記されたスピリチュアル・レディ
とは知らず、執筆を手伝ってもらっているにも
かかわらず、邪険にしていたのだった

葉は太古の昔から真実を語っていたのだった


 


ボロータを食らう                by mitsunaga

2004年10月18・19日 シバサミーの館

18日、
南インド・チェンナイの空港に降り立ったのは夜10時だった
前回インドでの検索そして巡礼の仕事を終えて帰国したのは9月9日、
わずか一ヶ月足らずで またインドに舞い戻ってきた

おなじみのセンティールのタクシーで館に向かう
フロントガラスには大粒の雨が打ち付けていた
今回はどういった流れになるのだろうか

本来ならば12月の中旬以降に新たな検索のため訪印しようと思っていた
早すぎる今回の突然のインド訪問は1通のメールが原因だった

それはバンガロールに住むオーストラリア人女性の
アガスティア代行業者からのもので
「撮影がはじまるわよ、早く来なさい」
といったものだった

実は9月3日にこの女性に会ったときに思わぬ話を聞かされていた
それはナショナル・ジオ・グラフィック・チャンネル、
ディスカバリー・チャンネルがアガスティア・シバの葉に関する取材を
はじめるという話だった
この女性は葉のことを紹介する重要な役割を担っていた

そんな話が製作側とあった時に、たまたま私と会うことに
なった彼女は何気なしにその話を私にしたのだった
そして
「興味ある?」
と私に聞いてきたのだった

ナショナル・ジオ・グラフィックといえば
世界的権威を誇る雑誌であり、テレビ・ドキュメンタリー
番組である
ある意味では、その世界の世界的頂点を担っている存在と
いっても過言ではない
ケーブルで世界中にその番組は放映されている

しかし私は、その話を半信半疑で聞いており
業界によくありがちな
”するかもしれない、やるかもしれない”
的な 話だと思っていた

しかしその話が本当なのならば
ぜひ、参加してみたいと彼女には伝えていた
「撮影はおそらく年末か来年あたまくらい・・・」
といわれていた

メールはその彼女からであった
「撮影は10月中旬から10月末まで・・・」
撮影があっても12月ごろだろうと・・・
構えていた私にはショックだった

話は猛スピードで進み、撮影スタッフとの
英語でのメールでの打ち合わせが進行した
そして最終的には私のインタビューやインドでの
検索や巡礼などの仕事振りを見せる・・
ということになった

あまりに忙しく頭の中ではパニック状態が
ずっと続いていた
8月の検索分の仕事
「88の祈り」の宣伝
息子の歩き遍路の結願
その写真展や出版のはなし
妻の次回出版のはなし
など様々な事柄が大波のように打ち寄せていた

その中でのこの話だった
まあ、しかしせっかくなのでこの話を
逃す手はなかった
いろいろな事柄はそっちのけで
遍路を終えたばかりの息子・光永を
今回の取材の記録カメラマンとして
従えインドに乗り込んだのだった

シバサミーの館の村のホテルに着いたのは
朝3時だった

寝不足と長時間の移動ににまみれた体を横たえ
泥のように眠った


19日、
朝8時、跳ね上がるように飛び起きた
仕事をせねばならない
私の撮影の日程に合わせて
フリーミールや巡礼の都合をつけたり
オーストラリア人女性との簡単な打ち合わせ
をせねばならない

20日からこの村ではじまる撮影を前に
やっておくことは山のようにあった
疲れた体に鞭打って、事を進めていく

お遍路疲れの残る光永を叩き起こし、館へ赴く
館ではいつものようにいつものメンバーが出迎えてくれた
オーストラリア女性はすでに館に来ていた
明日からはじまる撮影に関して
簡単に打ち合わせをすませ
それぞれの仕事に入った

私はカルティックに追加検索の依頼
そして様々な雑事をすませていった
あっという間に、一日が過ぎていった




9人の僧侶にフリーミール        by mitsunaga

2004年10月20日 シバサミーの館

ディスカバリー・チャンネルの撮影開始日である
8時にレストラン集合だったので
7時に起きてメールのチェックなどを行う

8時、数分遅れてレストランに行くとすでに
オーストラリア人女性とプロデューサーらしく大柄な白人女性が
すでに席についていた
エレーンである
インドへの出発目に何度かメールで打ち合わせをしていた
ちょっと厳格そうな性格の持ち主である

そのほかに、足に刺青の入った白人の音声マン
彼もまたオーストラリア人らしい
中国系だろうか、我々と同じ肌色のカメラマン・チャン
中国系の人が話す独特ななまりの入った英語を話す
そしてこれもまた我々と同じ肌の色をした
坂口憲二に似た、ディレクター・ドノバン
彼には第一印象で好感を抱いていた
なにか近しい匂いを感じ取っていた

打ち合わせが本格化した
しかし皆、あまりに早口でなにがなんだかわからない
適当にわかったふりをして、微笑んだり
わかったようにうなづいたりしていた
まさにインターナショナルな雰囲気だった
いやがおうにも緊張は高まった
シンガポールからのディスカバリー・チャンネルスタッフは
総勢4人、そして現地インド人クルーは6人ほどだろうか
撮影スタッフ総勢10人といったところだった

彼らは、これはインドでは無理だろう・・・
といった感じの撮影スケジュールを組んでいた
おそろしいほどの忙しさで時間が流れていく

まずは館に行き撮影がはじまった
館の内部、2005年に開けられる予定のバンダル
の詰まった棚が撮影された
そし翻訳者マニのインタビュー、シヴァサミーと
オーストラリア人女性の対話と午前中の撮影は進行した
その撮影振りは圧巻であった
時々、撮影の模様をモニターを通して
眺めていたが、おそろしくきれいな映像をとっていた
さすが・・・、といった感じであった

午後に入って、VAITHISWARANKOIL の近くの食堂に
9人の僧侶を集めてフリーミールを行う
撮影隊としては、お寺内部での撮影を望んだが
それは叶わず、近くの食堂で行うことになった

出演者であるオーストラリア人女性と私が
僧侶に食事を配り、その後、僧侶から祝福を受ける
場面が撮影された

その現場で簡単なインタビューを受け
当たり前だが英語で答えねばならず
大きなカメラを前にして緊張は高まった
本格的に撮影がはじまった瞬間だった

短い昼食休憩をとり、館近くのお寺に移動し
お寺の僧侶からアルチャナの祈祷を受ける
オーストラリア人女性の様子が撮影された
基本的にこの日はオーストラリア人女性と
館に撮影の焦点を絞っていたため
私の出番は少なかった

光永はディスカバリー・チャンネルの撮影の模様
を興味深げに眺め、おそらく彼が四国で経験した撮影との
違いを敏感に感じ取っていた
そして自慢のカメラで撮影の模様を切り取っていた

撮影は夜の8時ごろまで及んだ
明日は私の出番が多く控えている
英語ですべてをまかなわなければ
ならないことに苦痛とも苦悩ともいえるものを感じていた

 


アートマ・シャンティ・プージャ               by mitsunaga          

2004年10月21日 シバサミーの館

およそ2時間ほどの睡眠で緊張のあまり
夜中に目が覚めてしまい、まったく眠ることができなかった
平常心を失っていた

朝1番から、私の祖父の海辺でアートマ・シャンティ・プージャ
が予定されていた
しかしホテルからの出発直前、大雨が降った
これは撮影中止かと思われたが
出発直前、雨は止んだ
どうやらこの時期インドは雨季らしい

撮影隊とともに海辺に向かう
海や砂浜の様子、浜辺を歩くシーンなど
ディレクター・ドノバンの指示で撮影は進んでいった

1時間近く、遅れてきた僧侶の到着とともに
アートマ・シャンティ・プージャの撮影は始まった
僧侶は念入りに準備を進め祈祷を開始させた

それを逃すまいと撮影は進行した
この祈祷は一度始まれば、撮影のための
中断は難しい

海に入り身を清める場面、祈祷を受ける場面
僧侶のマントラ、祈祷の際の仕草など
その一挙手一投足が撮影された

光永も無理やり、その様子を撮影している場面
をカメラにおさえられていた
おそらくディスカバリー・チャンネルにデビューすることだろう

祈祷は1時間半以上にも及んだ
撮影隊はあまりの長さと時間のないことに
いらだち、途中で撮影をストップしホテルに引き上げた

私と僧侶は祈祷を継続させ終了後ホテルへと戻った
撮影隊はすでに昼食を済ませ、私を待っていた
次は、20人の障害をもつ子供たちへの
フリーミールの様子の撮影である

昼食をとる暇も無く、撮影隊を引き連れて
孤児院に向かう
撮影隊はこの孤児院の様子にはじめ面食らった様子だったが
すぐに撮影をはじめた
私は子供たちに挨拶をし、食事を一人一人に配りはじめた
私の予想していた以上に撮影スタッフはこのフリーミール
に興味をもったようだった
葉にこういったことを行うように記載されていることに
感じ入ったようだった

孤児院の前で簡単なインタビューを受け
この現場での撮影を終えた

休むまもなく、館の近くに戻り
70人の児童にフリーミールを行う
撮影隊はこれにはあまり関心を示さなかった
さきほどのフリーミールに比べれば
インパクトにかけると思われたのだろう
館のナディたちとともに70人の子供たちに
フリーミールを行い、その後ノートやペンを配った

最後に9人の女学生に制服を提供し館へ戻った
またもや撮影隊は私を待っていた
今度は実際の検索の模様の撮影だった

指紋を申込書から切り取り
ナディに渡す場面、そしてバンダルが選定され
検索がはじまり、様々な質問が繰り返される場面が撮影された
私は葉が実際に確定される瞬間を
おさえてもらいたいと思っていたが
意外にも時間のかかる作業にその撮影は断念された

その後、撮影隊は寺院の撮影にマニとオーストラリア人女性を
つれて出かけていった

その日の撮影が終了し、彼らが戻ったのは
20時過ぎだった

21時過ぎ、不意に部屋のドアがノックされた
ディレクター・ドノバンだった
酒を飲もうという
彼の部屋に行くと、すでに飲み会は始まっており
皆ウイスキーを飲んでいた

酒が入り皆それぞれに好き勝手な話題を
あまりの早口で行うため、全体の約30%くらいほどしか
内容を理解できなかった
しかし、世界中を飛び回り、ドキュメンタリーを取材する
彼らのメンタリティーはさすがとも言えるもので
社会問題や差別、宗教、国政について
激しい議論を戦わせていた
議論を行うほどは英語は得意ではないので
少し気後れをした

なれないウイスキーにかすかな頭痛を覚えていた


障害を持つ子供たちへのフリーミール by mitsunaga

 

2004年10月22日 シバサミーの館

いよいよ朝8時から、インタビューを受ける時がやってきた
英語で話さなければならないため悪戦苦闘する
ディレクター・ドノバンの質問に対して
カメラに向かい、答えていく

時として英語ではどうしてもスムーズに答えられない
場面もあらわれた
その都度、中断し緊張をほぐすために水を飲み
できるだけ丁寧に答えるように努めた

自分としてはあまり満足のいくできではなかった
英語では対処に限界を感じていた
日本語のように、自分の経験や葉に関することを
話すことに困難さを感じた
自分の英語能力の限界をあらためて痛感した

そのあと、ホテルの近くの食堂でボロータを私が
買うシーンを撮影し、今回の私のすべての撮影が終了した
ようやく肩の荷がおりた瞬間だった

午後から、通常の私の館での仕事に戻った
3人分の新規検索を行った
その中の一人の検索はまだ幼い子供だった
通常、検索は大人になってから・・・がいいと言われている
しかし、必要性があるならば、小さい子供であろうが
必ずその人の葉は存在すると私は思っている

指紋もまだはっきりとしていないような状態だったが
とにかくバンダルが選定され、検索がはじまった

結果は私も驚くようなものだった
名前の情報をほぼ、渡すことなく
両親の名前、生年月日などが見事なまでに一致した
震えが起きるかのような瞬間だった
疑いないようのない出方だった
これは何千年前も前から魂が永遠なる転生を続けてきた
証のようなものだった
もし、これと同じような検索の経験を皆さんがすれば
葉に対する疑いなど吹き飛んでしまうだろう

私自身このような検索は何度も経験しているが
何度、経験しても生命の神秘、そして輪廻転生の
神秘に驚かされる

しばらくその興奮は続いた


ディレクター ドノバンとの打ち合わせ        by mitsunaga

2004年10月23日 シバサミーの館

朝8時、ディスカバリー・チャンネルの撮影隊と別れる
たった2日ほどの時間だったが濃密な時間だった

ラトラクマールと巡礼を開始する

まずは THIRUNAGESHWARAM 
惑星ラフー神にアビシェーカムを行う
大きなラフー神は異様な黒光りを放ちその存在
を示していた
祈祷が始まると同時に多くの人々が両手を天に
掲げラフー神を賛美した
ご神体にミルクやローズウオーターなど様々な
ものが浴びせられれラフー神は生命を吹き込まれた

続いて ALANGUDI 
木星神グルにアビシェーカムを行う
ここの木星神は強力なエネルギーを放っている
まるで精気を24時間放ち続けているかのような
雰囲気だった

最後に THIRUMANAMJERRY へ
この寺は 新婚のカップルが幸を多くいただくために
訪れたり、良縁に恵まれるためにご利益があるとされている

車を降りた瞬間に、既婚者か未婚者かと
聞かれクライアントは未婚者だというと
それ様の祈祷のための供物を用意してくれた

寺の中は人影もまばらで
静かな雰囲気で祈祷を受けられた
穏やかな気持ちで寺をあとにした


ディスカバリー・チャンネルのスタッフと・・             by mitsunaga

 


THIRUVENKADU の参道                     by mitsunaga




2004年10月24日 シバサミーの館

朝10時より MAILADUTHURAI で HOMAM
という最上の祈祷の一つをうける
これは KOCHARA SHANTHI で指定されていた
もののひとつである

護摩焚きに似たこの祈祷では何十種類にも
及ぶ供物が火にくべられ延々とマントラが唱えられる
その祈祷はおよそ2時間以上に及んだ
祈祷を行う側も大変だが受ける側も相当に
疲労困憊した

いったん、館にもどり1名分の新規検索を行う
この方は私も一度お会いした方なのだが
この検索もまた見事だった
彼の恋人の名前が確定された瞬間
生年月日、苗字、両親の名前まで
すべてが一切の情報をあたえずに特定された
思わず、ナディと握手を交わしてしまう
本当に葉に記されているんだなー、と今更ながら感動する

夕方 SURIYANARKOIL で9つの惑星神に
アビシェーカムを祈祷してもらう
おなじみのスワミが私を見つけ微笑んでくれた

まずはガネーシャ神に対する祈祷から
はじまった
ガネーシャ神の祀られた祠に入り祈祷がはじまった
ついてきていた光永の姿が見当たらない
どうしたものかと後ろを振り向くと
青ざめた顔をして遠くのほうで座っている

撮影をしろ、とはっぱをかけたが
どうも調子が悪いらしい
これはマラリアにかかったか?と思い休憩を取らせることにした

祈祷は進行していた
9つの惑星神ひとつひとつにミルクやサンダルが浴びせかけられ
マントラが朗々と吟唱される
まるで音楽を奏でているかのような吟唱
は心地よいものだった
依頼者の写真をそれぞれの神の御前にささげ
精一杯の祈祷を行う

約1時間に及んだ祈祷のあと、
光永の様子をみる
どうやら回復したようだ
顔色もふだんのものに戻っている
何事だったのか、聞いてみると
どうやらガネーシャの祠に入った瞬間
強烈なめまいに襲われ、立っているのも大変な状態になったらしい
休憩しているうちに回復したようだった
ひょっとすると何がしかの霊的な反応だったのかもしれない

関連性はさほどないと思うが偶然にも彼は
この日、ガネーシャ神のTシャツを着ていた

彼は今回インドは3回目だが、このような
反応を見せたのははじめてである
四国八十八箇所の巡礼を終えた直後の
インド訪問なのでその影響なのかもしれない

私自身も88ヶ所巡礼の直後、インドに渡ることになり
自らの葉を開き、将来、葉に関連する仕事をすることに
なる運命を持っていることを知った
そしてそれは止めようのない流れとなり
私の人生に影響を与えた

もしかすると光永の人生にもインドと
深い関わりがあるのかもしれない
もしくは88ヶ所が彼の人生に大きな影響を及ぼしたのだろう

ゆっくりと寺の周りを9周し、
最後に寺からいただいたプラサーダを
サドゥーたちに献上し、月明かりに輝く寺をあとにした

 


今回は雨の日が多かった        by mitsunaga

2004年10月25日 シバサミーの館

朝5時起床、ラトラクマールが迎えに来る前に
起きだし、巡礼にでかける準備をする
息子は小動物のように眠り込んでいる
大急ぎでネットに接続しホームページのアップを行う

5時50分ごろ、息子をたたき起こしホテルを出発
約2時間かけて THIRUKARKABUR へ向かう
館のある村も田舎だが、さらに田舎へと車は向かう
雨でぬかるみ穴のあいた道をひたすらに行く

あまり観光客など来ないような村の中にその寺はあった
この寺は特に子宝に恵まれたい人や
良縁に恵まれたい人に効くといわれている寺である
事実私の依頼者の一人も
私のこの寺への巡礼の直後子宝に恵まれた
我ながらそういった報告をいただくと
救済法の効力に驚かされてしまう
(もちろん皆が皆、即効性がある訳ではないが・・・)

この寺の、人と同じくらい大きな
パールバティ女神に対してアビシェーカムを行う
巡礼にきたパールバティ女神の熱心な信者が
女神を称える唄をアビシェーカムが行われる
1時間以上ものあいだ、延々と詠い続けた
その響きは僧侶のマントラ以上に心地よい響きとなって
体に染み渡った

静かな空気の流れるいいお寺だった
2時間かけていったんホテルへ戻る
車のゆれで頭がおかしくなりそうになる

帰国便の日程の変更
館での護符の作成の依頼
完成した護符の受け取りなど
最後の仕事を詰めていく

昼食をとる暇も無く
3時45分に館を出発し
今回巡礼最後のお寺 THIRUNALLAR へ向かう
陽が落ちかける頃、寺に到着

寺に入った途端、満面の笑みをたたえた
僧侶に迎えられる
忘れていた、この僧侶に写真をプリントして
渡すことになっていた
来年必ず持ってくることを約束し、
ガネーシャ、シバ、パールバティとアルチャナを
祈祷してもらう

依頼者の写真をそのたびに
ご神体の足元におき
マントラを唱えてくれた
安心して祈祷を任せられる僧侶だった

最後はこの寺の主神である
土星神にアビシェーカムを行う
この寺は有名なので大勢がバスなどに
乗ってこの寺に巡礼にくる

土星神の周りは巡礼者でにぎわっていた
ご神体にミルクやローズウオーター、果物が
かけられるたびに巡礼者は両手をあわせ
ため息をつく
最後は衣装をまとい化粧直しをした
土星神に献火が捧げられアビシェーカムは
幕を閉じた
人々はその火に手をかざし
祝福を得ていた
私も依頼者の写真を火にかざし祝福があるように祈った

祈祷を終えて外に出ると月が空にあがっていた
今回の巡礼のすべてを無事に終えることができた

しかしまだ最後の仕事が残っていた
100人の障害を持つ子供たちにフリーミールを行わねば
ならなかった
急いで子供たちの待つ、孤児院へ向かう
途中で幼児用の粉ミルクを購入した

孤児院では子供たちが待ちわびていた
部屋に入った瞬間、歓声とも嬌声ともつかぬ
声で迎えられた
この孤児院も6回以上は来ているだろうか
知った顔も多く見られた
順調に育っているようだ

なかでも目を引いたのは
一人だけ列から離れてサルのように
食事をむさぼっている小さな小さな少年だった
聞けばこの孤児院に3日前につれられてきた
ばかりだそうだ
サルと日記に書くのは気が引けるのだが
本当に山から下りてきた動物がようやく
食事にありつけたといった感じで食べている
動作や仕草が人間とは言いがたいものを
もっていた
それはまるで親に捨て去られ
動物がもつ本能そのままに
なんとか生き抜いてきたといった感じであった

彼がどういった経緯でこの孤児院にきたのかは
理解できなかったが
今後の彼の成長振りが楽しみである

フリーミールを終え、ディスカバリー・チャンネルの取材
検索、巡礼、すべてを無事に終えた
やっと一息をつけた瞬間だった
思えば「88の祈り」を書き始めた
4月から1日も休みがなかった

ホテルに戻った時にはすでに22時近くだった
カルティックと次回のインド訪問を打ち合わせを行った
聞けばずいぶんと日本人が館をこれから
訪れるようだ
内心、自分がこれまで克明につづってきたホームページ
上での日記のことを後悔していた
それほどまでに知らぬ間に影響を与えているとは思ってもみなかった
多くの人が一度に訪れるとそれだけ
たった一人しかいない翻訳者にひずみが生じる
そして英訳の仕上がりが次第に遅れていくということだ

館や私にも何らかの変化や対応が必要なのかもしれない
悶々とした気持ちを抱きつつベッドに横たわった


苦労した英語でのインタビュー              by mitsunaga



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