2003年7月9日 東京事務所にて
とうとう準備に追われて朝を迎えた
今回はどんなことがインドで待っているだろうか・・・
2003年7月10日 ヴァイテーシュワランコイル シバサミーの館
朝8時近くとうとう目的地シバサミーの館のある村、ヴァイテェーシュワランコイルに到着
昨夜11時にようやくチェンナイ空港に着く
預けた荷物がでてくるのを待っているとインド用携帯が鳴った
誰かと思い出てみるとセンティール(タクシーの運転手)だった
どうやら空港に向かう途中の事故で空港に着くのが遅れるらしい
朝2じごろになってしまうと言っている
出だしから波乱含みだ
おまけに外は雨が降っている
雨季のシーズンかと思いきやたまたま
今日だけ振っているのだという
まったくついていない
仕方なく空港のレストランに入り
時間をつぶした
結局センティールはちょうど1時ごろやってきた
知っている顔なのでとても安心する
疲れていて休みたいのだが
日程の都合もありヴァイテーシュワランコイルに
向かってもらうことにする
センティールはオーロヴィルを夜7時ごろ出発したらしく
途中の事故渋滞に巻き込まれて遅くなって
しまったらしい
彼もまたつかれきっていた
空港から2時間走りオーロヴィルに着く
センティールが眠くて運転が危険なので
1時間寝させてくれと言う
もちろんOKだ
事故されるよりいい
私、センティール、今回の同行者との3人で
狭い車内で泥のように眠る
1時間後、センティールは起き、再び車を走らせた
そして朝8時ごろ、常宿サダビシェカムに到着
数時間仮眠をとるつもりだった
なにせずっと移動していたのでろくに睡眠が
とれていない
しかしなぜかシバサミーの館に
いくこととなった
そして検索をスタートした
夜8時、4人分の葉の検索をすませて
ホテルにもどった
さすがに疲れた・・の一言である

2003年7月11日 シヴァサミーの館
ようやく十分な睡眠がとれた
今朝はクーラーの効きすぎで目覚めた
相変わらずインドには、ちょうどいい・・という
加減がない
今日も朝から葉の検索をおこなった
今日は合計5人の葉を検索した
その中でも印象的な葉があった
今回私に同行している彼の姉の葉の
検索をかけたときである
もちろんナディリーダー(写真上)
には彼の姉だとは伝えていない
検索開始後わずか20分足らずのときである
突然、葉を見ながら彼の姉の名を読んだ
ここまではよくあるのだが、大概ここから例えば
両親の名や、生年月日が一致せず再び検索を
続行するのだが今日は違った
続いて両親の名前、生年月日をずばりと当てた
あっという間の出来事だった
こちらが何が起こったか判断できないままのうちに
葉がでてきてしまった
こちらがほとんど情報を与えることなく
あまりにずばりとでてきたので検索に慣れて
いる私も驚いてしまった
本当にこの葉の神秘には驚かされる
あまりの出来事に驚いていると
もう一人のナディリーダーがたまたま
部屋の前をとおりかかった
目の前のナディリーダー・カルティックは
彼を部屋に呼び入れると、たった今
探し当てた葉の一部分を指差して
読むように彼に言った
彼はすらすらとその日本人の名前を
すべて(本人、両親の名)を読み上げた
ここまでされると改めて、本当に
個人の名前が克明に記されているのだと
感服してしまった
体がしびれるかのような出来事だった
それにしてもネットにつなげられない
今夜はホテルからの接続を3時間に
わたってトライしたが失敗に終わった
世界は厳しい
2003年7月12日 シヴァサミーの館
今日は暑い一日だった
5人分の検索を終わらせた
昼食はナディリーダー・カルティックの奥さんの
手料理をいただいた
野菜中心のその昼食はとてもおいしい
ものだった
やはりどの世界でも家庭料理ほどうまいものはない
今日の午後、妻の弟の葉の検索をかけた
その私にとっての義弟の父は5回の結婚歴
があるのだが、葉の発見後そのことが葉に記されて
いるかナディに聞いたといころ葉の一部分を指して
ここに5回の結婚歴と書いてあるといっていた
思わず笑ってしまったが同時にすごいことだと
関心してしまった
検索からホテルに帰り同行者の彼に手伝ってもらい
再びネット接続に挑戦した
約1時間後、ようやくネットに接続できた
どうやら接続のポイントが大当たりだったようだ
今いるところからはかなり遠い都市(ムンバイ)なので
電話代はかさむがそれは仕方がない
大急ぎでメールのチェックやホームページの
日記の更新を行う
毎日のようにネットに接続しているので
接続できないことほど歯がゆいことはない
逆につながるとこれほどうれしい
こともない
今日、大体の巡礼すべきお寺のリスト
が出来上がった
明日からはいよいよ巡礼の一部を
スタートさせる
体調は下降線気味・・

2003年7月13日 シヴァサミーの館 巡礼
朝8時から巡礼を開始した
朝3時半までメールを打っていたため寝不足気味である
今まではオフィスの中にいたのでそれほどは
感じなかったが、照りつける太陽が痛い
今日だけで日焼けをしそうだ
寺の中ははだしにならなくてはならないため
車から寺へははだしなのだが
足の裏の暑いことといったらなかった
本当に焼けどを心配したくらいである
今日は日曜なので寺の中は巡礼者でごった返していた
嬌声と驚嘆のなか祈祷をおこなった
19時までに5つの寺を巡礼した
疲れ果ててホテルにもどった
VAITHEESWARANKOIL
THIRUNALLAR
SRIYANARKOIL
THIRUNAGESHWARAM
THIRUMANAMCHERRY

サンスクリット語で記載された葉
2003年7月14日 シヴァサミーの館〜タンジャブール〜オーロヴィル
今日はタンジャブールという町にある博物館を訪れることとなった
そのミュージアムには古代から伝わる葉が保管されているということだ
興味が深まった
ナディリーダーの話によればインドにはおよそ18種類の
予言の葉が存在するという
アガスティア、シヴァ、シュカその他に約15種類あるというのだ
その博物館には原書の葉が数多く保管されているという
シヴァサミーの館から約3時間そのミュージアムに着いた
葉だけではなくかつての王様の物品なども併設された施設に
保管されているようだ
現在は工事中ということでナディリーダー・カルティックが
特別に葉の保管されている場所に入れるよう手配をしてくれた
その間、かつての王様の物品などを眺め歩いた
同行したナディリーダー3人は初めてこの博物館
を訪れるようでピクニック気分ではしゃいでいた
彼らにとってはいい息抜きなのだ
葉の保管場所への入場許可がとれ
午後4時ごろその場所へ入れることとなった
ただこの時点でよくよく話を聞いてみると
個人個人の未来に関する預言書は
すべて持ち出されてしまっているようだ
シヴァサミー、そしてバンガロールのマニバサカン
もここから現在の検索に使っている葉を
すべてここから持ち出したようだ
ナディのはなしでは国の未来に関する
予言などはいまだにここに保管されて
いるらしいがそのナディはあまり英語が得意
ではないので果たして私の意図したところが
完全に伝わっているかは定かではない
そしてその話も真実なのかはわからない
その他の個人に関する預言書はすべて
その他のナディによって持ち出されているようだ
その博物館の中に入ると確かに山のように
やしの葉に記された文献が保管されていた
一部をみせてもらったがそれはサンスクリット語
で書かれていて昔の物語がしるされているようだ
その他にもかつての宮殿での計算書のようなものが
数多く保管されていた
現在は工事中ということであまり長居はできず
そうそうと退散することとなった
とにかく前からうわさには聞いていた
古代から伝わる葉の保管場所は突き止めた
その他にも予言を葉に記したとされている
こだいの聖者の銅像を教えてもらったりもしたが
その預言書が今どこにあるかはナディも知らないらしい
今はなくなってしまっているとは言っていたが・・・
本当にそうなのかどうなのかはわからない
あれば是非この目で見てみたいとは思うのだが・・・
このような調査はいろんな人に聞いても
答えが一致しなかったり皆が三者三様の
ことをいうので雲をつかむような話なのだ
とにかく一歩前進したとういう感じだろうか?
前進なのかまやかしなのか
正直わからないのだが・・・
うわさにはシヴァ、アガスティア、シュカの他にも
予言を記した葉が存在するとは聞いているのだが
なかなか場所やうわさを特定できないでいる
その摩訶不思議さが魅力であったりもするのだが・・・
一度シヴァサミーの館にもどり
ナディリーダーたちを降ろした後
オーロヴィルのあるポンディっチェリーに向かった
ポンディッチェリーに着いたのは夜の10時半ごろだった
予定ではオーロヴィルの中のゲストハウスに泊まる予定
だったのだが夜遅くなってしまったため予定を変更し
街一番の高級ホテル(?)に泊まることにした
この設備で一泊6千円ほど、二人なので
一人3千円の負担と考えれば安いという判断だ
部屋からネットに接続できるというのも魅力のひとつだ
ネットに接続すること自体がひじょうに困難なので
つながるとわかっている宿とても安心できる
それにこの部屋にはバスタブも付いている
少し休みをとって英気を養うことにした

2003年7月15日 オーロヴィル
朝10時ごろタクシー会社を経営するセンティールが
スクーターを2台調達してホテルに届けてくれた
オーロヴィルを移動するにはスクーターが必須だ
まずは20分ほど海岸線を走りスクーターにガソリンを入れた
気を抜いていたのでいくらかガソリン代をぼられた
この海岸線が最高に気持ちいい
5・60kmほどで飛ばしながら絶叫する
疲れが吹き飛んでいく
その後、オーロヴィルのプライベート・ビーチへ
ベンガル湾で泳ぐ
疲れきった体を洗い流す
泳いだあと井戸からくみ上げた水で潮をとる
ROMA’S KITCHEN というところで
鳥料理を食べる
久しぶりの肉だ
シヴァサミーの館近辺では
われわれはベジタリアンとなるより他はない
昼食をすませオーロヴィルに住む日本人
まつもとけんじさん宅に立ち寄る
日本から漬物や桃屋シリーズをおみやげに
持ってきたのだ
大変喜んでくれた
これほど喜んでもらえるとこちらまで
うれしくなる
その後はしばしインターネット、ウィンドウズの使い方
などのレッスンタイムとなった
時間を忘れてレッスンに打ち込んでいるうちに
マトリマンディル(巨大瞑想ドーム)への
入場時間がすぎてしまい
明日に持ち越しとなった
けんじさん宅でインド・ビールと夕食を
ごちそうになった
同行した彼はインド・ビール(度数が高い)の酔いと
下痢と疲労で倒れこんでしまった
無理もない
インドでは誰もがとおる道だ
長くインドに住み慣れた人でさえも
一ヶ月もの下痢に悩まされることがあるくらいだ
彼をけんじさん宅に泊めてもらい
ひとりスクターを30分ほど飛ばしホテルへと戻った
バスタブに浸かりほっとした時間をすごす
ようやく体力が回復しまともな状態へと
戻りつつある

2003年7月16日 オーロヴィル〜バンガロール
朝9時半ホテルからスクーターを飛ばし
オーロヴィルへ向かう
同行している彼とけんじさんと合流する
朝からけんじさんのホームページの製作に熱中する
素材となる写真を撮ったり
構成図を作ったりと忙しくすごす
夕方は同行している彼をつれて
マトリマンディルに瞑想にいく
疲れが蓄積されているのと
私の集中力の欠如のため
思わず眠りに落ちそうになってしまう
しかしその巨大瞑想ドームの中の
雰囲気はなんとも言い難いすばらしい
ものがある
その後、再びけんじさん宅を訪れ
ホームページ立ち上げを行うのだが
日本から持ち込んだホームページ
制作ソフトがインストールできずに
少しの間持ち越しとなった
急いでホテルに戻り
チェックアウトをすませ
深夜バススタンドへ向かった
今夜はこれから深夜バスに乗り
バンガロールに約8時間かけて向かう
サイババのアシュラムとバンガロール
のアガスティアの館に彼をつれていくためである
彼の帰国日がせまっているため
大忙しである
バスは思ったより快適である、はずだったのだが
隣に座ったインド人のいびきのすごさと
そのインド人の身振り手振りつきの寝言
によりほとんど睡眠をとることが
できなかった
ふらふらの状態でバンガロールに朝5時到着
2003年7月17日 バンガロール〜ホワイトフィールド〜プッタパルティー
朝6時、バンガロールのバスストップに
友人ハリッシュに迎えにきてもらう
バンガロールのアガスティアの館が開くのが
10時ごろなのでそれまで
コーヒーを飲んだり公園を散歩したりして
ハリッシュとともにすごす
ハリッシュから約一ヶ月前にサイババが
怪我をしたとメールをもらった
その内容はどうやら本当だったようだ
約一ヶ月前にバスルームですべり背骨を傷めた
手術を要するほどの怪我だったようだ
そのため毎日あるはずのダルシャンが不定期
となったようだ
そのため今回もプッタパルティーにきても
ダルシャンに授かれる可能性は低いとのことだ
手術をし多少の回復をした3週間後
サイババは壇上に立ち、説いたようだ
ハリッシュから聞いたその内容は実に興味深いものだった
「神ならば怪我や手術は必要ないはずだ
なぜなら神なのだから」
このような疑問に対して
肉体をもつことの意味合い
また重要性を説く内容だったようだ
もうひとつはうれしいニュースだった
ハリッシュがたまたま知人から
別のアガスティアの葉の館のうわさを聞いたらしい
やはりその館も指紋を用いて
検索をするのだが
記述がかなり細かいらしい
引越しの日にちや結婚する日にちまでもが
でるらしい
そしてその知人はその日にち、いずれも
現実となったようだ
そんな話を聞いてしまえば私も血が騒いでしまう
後日ハリッシュとその館に調査に向かうことにする
同行している彼、私、ハリッシュそしてタクシーの運転手アパジ
とバンガロールの館へ
同行している彼が検索をかける
以前他の代行社を使ってこの館で葉を
開いたことがあるようだ
緊張のなか検索が進む
3束目のなかごろ彼の葉はでてきた
父親の仕事、母親の仕事がひきがねとなり
彼の名前、両親の名前がヒットした
以前の検索とどれほど内容が異なって
でてくるかが楽しみである
昼食をすませハリッシュのネットカフェで
一仕事すませたあと
タクシーでプッタパルティーへ向かった
夕刻の景色がのどかですばらしい
到着手前2kmの地点で
タクシーが故障し立ち往生となった
その合間、引き車の家族経営の屋台で
オムレツを食べる
なぜだかほっとする
20時半ごろアシュラムに到着
アシュラムのなかには部屋をとれず
アシュラム外のホテルに泊まることとなった
明日はダルシャンに授かれるだろうか
日本から預かってきた写真などに
できれば祝福をもらいたい

2003年7月18日 プッタパルティー〜チェンナイ
朝7時半過ぎに起きる
私、ハリッシュ、そして同行している彼、
皆疲れていて起きれなかったようだ
数少ないチャンスのダルシャンの機会を
のがしてしまった
しかし後の調べでダルシャンはなかったことが判明した
しかし奇妙なうわさが流れていた
それはサイババが明日19日に治療のために
再びホワイトフィールドにもどるというものだ
そのために今日の午後短い時間ではあるが
ダルシャンをおこなうかもしれないというものだ
しかしあくまでもうわさでなんら信憑性はなかった
事実13時ごろになってもダルシャンを授かるための
行列ができなかった
同行している彼は今日がラストチャンスなので
残念がっていた
私たちはネットカフェにこもり
やらねばならない仕事を進めていた
午後3時に近いころ
ホテルに用事ができ部屋に私だけがもどった
部屋の鍵を開けて部屋にはいった途端
同行している彼が部屋に飛び込んできた
息を切らしながらダルシャンがあるようだと言っている
アシュラムのなかにダルシャンを授かるための
列ができているというのだ
サイババがプッタパルティーに移動してきてからは
一度もダルシャンはなかったと聞いている
まさかとは思ったがあわてて預かった写真と
名前を書いたリストをもって
祝福を授かろうとアシュラム内に向かった
アシュラムに入ってみると確かに列ができていて
すでにホールに順番に入っていた
われわれもあわてて並ぶ
前にいた外人にダルシャンはあるのかと
聞いてみるとひょっとしたら3時半から
少しのあいだあるかもしれないとのことだ
期待が高まる
3時過ぎホールに入った
うとうととし眠りかけた3時半
音楽がなりはじめた
まさかと思い皆が向いている
方角を見てみると小型のオープンカーの
ようなものに乗ってサイババは登場した
そして中央演壇の近くでその乗り物を降り
20数メートルをゆっくりと歩いた
そして奥へと消えていった
わずか数分の出来事だった
わずか数分だったが実に充実した
時間だった
ほとんどあきらめていたので
その分喜びは大きかった
同行している彼の帰国日が19日と
日がせまっている
本当はもう一日プッタパルティー
に滞在する予定だったが
短いながらもダルシャンを幸運にも授かったので
それを変更しチェンナイに向かうことにする
チェンナイに向かう目的は彼の帰国日(19日夜)に
あわせることとチェンナイにうわさの館があるので
皆で調査をすることだ
急いでチェックアウトをすませ
バンガロールの列車の駅に向かう
駅は列車に乗れなかった人や
これから切符を買う人でごったがえしていた
ハリッシュが機転をきかせ
切符売りの駅員に150ルピーの賄賂を支払い
3名分のACスリーパーのチェンナイ行き
切符をゲットする
度重なる移動で皆疲れ果て
寝台列車で熟睡することとなった
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