kaito akimoto  
  


 
 
India diary

 

 


2007年5月17日 東京〜南インド チェンナイ

早朝5時に起き成田へ
それから何時間経っただろう
マレーシア航空でKLでのトラジットし
チェンナイに降り立ったのは21時だった
とりあえず今日はチェンナイ市内のホテル泊
まず睡眠をとり明日に備えることとする

2007年5月18日 チェンナイ

7時過ぎ、起床
ようやくまとまった睡眠をとり
多少ながらも頭がすっきりしている

4月4日に日本に一時帰し今日まであわただしい日々だった
本来はマレーシアからインドにトンボ返りする予定だったのだが
息子の入学式、私自身の歯の治療
妻の父の転院等のため、日本に一時帰国することにした
最大の要因は私の歯の問題であった
つめていたものがポロリととれてしまったのだ
そのため神経がむき出しになってしまった
マレーシアでの保険もリサーチの結果
保険はきかない・・とのことだったので
一時帰国することにしたのだ
帰国後は、歯の治療、息子の入学式
検索ビデオ等の発送などめまぐるしいものだった

15日チケット等の手配をはじめた
21日にはアートマ・シャンティの祈祷が海辺
であるため、その日までには入国し準備を整えねば
ならない
ところがマレーシア〜チェンナイ間が満席で
17日のみの出発が可能なため出発は17日となった

そうと決まればやることはいっぱいだった
葉の館のある村でのホテルの確保
ところが17,18は予約で満室と苦い返事を得しまう
仕方がないので19日から部屋をおさえてもらう

さてもうひとつの仕事である
チェンナイに気になるナディがいるのだ
個人的には一度1年ほどまえだったと記憶しているが、
私自身の10章を開いている場所なのだが
この体験が強烈だった

通常の館とは違い、彼はその館ではたった一人のナディなのだ
いわゆるカリスマ的な存在で、彼がリーディングをはじめると
彼は完全に霊媒となる
そこにあつまる彼を慕う人々・・信者といってもよいだろう、
は皆この彼の能力に惹きつけられて集まってくる

葉の内容を聞くというよりは、彼が霊媒となったときに
どんな貴重な情報をもたらしてくれるか・・・
ということに重きがあるようだ

今まで私が体験してきたナディとは異質なものだ
今まで出会ってきたナディはこれほど強烈な霊媒ではない

しかしこのカリスマナディの予約がとてもやっかいなのである
月の半分はチェンナイ、もう半分は別の場所でナディを行なっている
ほとんど並ぶラーメン屋さん状態でなかなか予約が取れない

以前も私が日本から来ていることの状況を説明し
予約を入れてくれるよう取り計らいをお願いしたのだが
頑として聞き入れてくれない

ようするに一ヶ月前に彼の館に赴き、予約をいれ
指定された約一ヵ月後に再度訪れてリーディングをしてもらう
といった手続きを踏まねばならない

今回は事情があり、どうしても予約を入れたいと思っていた
ひとつの方法は以前マレーシア在住の占星術師
に紹介してもらったチェンナイ在住のトラベル・エージェントの男が
鍵を握っていた
彼自身も前述したカリスマ・ナディに傾倒している

だが困ったことにこの男の連絡先を私はマレーシアで紛失してしまったらしい
そこで日本からマレーシアで常宿にしているホテルのバトラー
にメールを打ち、マレーシアの占星術師に連絡をとり
再度この男の連絡先を調べるよう
依頼をしていたのだ
返事はわずか2日でマレーシアからメールで届いた

インドへの出発日、直前の16日、私は日本からこの男に電話を入れた
とつぜんの日本からの見知らぬ男の電話に驚き状況を飲み込めない
ようであった
こまったことになったなー、と参っていると
彼が電話を誰かに渡したらしい

その隣の男は聞き覚えのある声でOKADA?と聞いてきた
それはマレーシア在住の占星術師だった
何故、いつもマレーシアにいるはずの人がこのタイミングで
電話に出るのだろう・・とおもったが
どうやら巡礼などにきているらしい
聞けばVAITHISWARANKOIL、シヴァサミーの館の
ある村にいるようだ
私は飛び切り驚き、そこで何をしているのだ・・・
と思わず聞きかえした
彼は火星を主神に祭るVAITHISWARANKOIL
に巡礼をしていたらしい

17の夜にはチェンナイに戻る・・・というスケジュールらしく
そのタイミングのよさに舌を巻かれた
見えない世界が動き出しているのだろうか
私はマレーシアの占星術師にカリスマ・ナディの予約を
18日の朝にとりたいこと、17日のチェンナイ市内のホテル
がいまだに満室でとれない状況を説明した

すると彼は、{私と私の運転手がすべてアレンジをする
そして明日17日の夜も空港に迎えに行く・・・}
とのありがたい返事を得たのであった

この共時性はことがうまく運んでいると
内心私は嬉々とした状態だった

17日成田からKLを経由してチェンナイに入国
KL〜チェンナイ間は飛行機は満席だった
チェンナイにつく間際、隣にすわるインド人が話しかけてきた
面倒くさいので適当に相槌を打っていると
予想だにしない言葉を発した

ダラスからの帰りなんだよ
もうかれこれ24時間以上飛行機に乗っている
え、私はダラス生まれだよ
え、そうなのかい
といった偶然でしばし話が弾んだのであった
どうやら彼はチェンナイの孤児院の責任者らしい

お互い名刺を交わし、また縁がありましたら
お会いしましょう・・とのこととなった
この偶然は見えない世界の計らいか・・
とまた勘繰ってしまうのであった

20:30予定通りMH180便はチェンナイ到着
インド携帯をONにし、到着した旨をマレーシア在住占星術師
紹介の男に電話する
ところが、え、今着いたんですか?
とわけのわからないことを言っている
どうやら飛行機の到着時間のことで行き違いがあったようだ

いまだにホテルの予約が無いこと
足もないことを伝えると
「すぐにタクシーを空港に送ります」
との返事を得た

おかしいなー、何かが狂いだしたのか、
まーインドだからなー
と空を見上げタバコを吸っていると
約10分ほどで彼の用意したタクシーがやってきた
TATA INDICAR だった
快適な車である

そのタクシーの導きで、まずひとつめのホテルに立ち寄り
マレーシア在住占星術師紹介のトラベルエージェントの男に
ようやく会い、そのホテルもまた満室とのことだったので
その近くの別のホテルまで案内された

どうやら彼も熱心なカリスマ・ナディの信者であった
話してみるととてもいい男である
騙しはなさそうだ
いまのところ・・・

彼に私がカリスマ・ナディの予約を入れたいことを伝えると
18日はカリスマ・ナディが忙しくて無理だ
19日に予約を取りに行こう・・ということになった
本来なら18日の午後にチャンナイを出発し、葉の館に向かうはずだったが
どうせ18日は葉の館のホテル・サダビシェカムが満室とのことなので
流れ的にはOKだ、ということで19日の朝に予約を取りにいき
その後、館に向かうことにした

というわけでほぼ1日スケジュールがあいたので
ゆっくりすることにする
小説「幻夜」東野圭吾を読みふけり
多少の睡眠をとった

そういえば飛行機のなかで、映画「手紙」を観た
ラストがとても感動的で機内にもかかわらず泣いてしまった
この原作も東野圭吾である

ホテルの周りを散策もした
前回来たときに比べればはるかに暑い

夕方、トラベル・エージェンシーの男がやってきた
明朝の打ち合わせと昨日のタクシーの清算である
金額を聞き息をのんだ
予想していた金額よりはるかに高い
「マレーシア在住の占星術師の紹介だから信用していたのに」
と心のなかで毒づきながら仕方なく言われたとおりに払った
インドは一筋縄ではいかない

夕食は近くのホテルまで歩いていき食事を取ることにした
現在泊まっている宿からRESIDENCY TOWER というところまで歩いた
とてもアメリカンナイズドされたレストランであった
席について間もなく携帯がなった
電話の主とは初対面である
彼は私が出演していたディスカバリーチャンネルを韓国で
観ており、是非自ら体験したいと望んでいるらしい
私のことを何らかのかたちで調べコンタクトしてきたようだ

せっかくなので私が食事をしているレジデンシータワーまで
きてもらい顔合わせと打ち合わせを行なうことにした

食事をしながら約2時間半彼のことを待ったのだが
いっこうに来る気配がない
おそらくタクシーかオートリキシャーの運転手に
もうひとつのレジデンシーに連れて行かれたのだろう
レジデンシーにはレジデンシーとレジデンシー・タワーがあり
時折間違いが起こるのだ

連絡をとりようにもバックパッキングで旅行をしている
韓国人の彼の連絡先がわからないので
どうしようもなかった

あきらめて部屋に帰ることにする
仕方がないのでゆっくり寝ることにする



2007年5月19日 チェンナイ〜ヴァイティシュワランコイル

朝6時ごろに目覚め、パソコンを立ち上げ
メールのチェックや日記の更新を行なう

その後、ロビーの食堂で朝飯を食らう
ホテルとしてはあまりいいところではないのだが
何故か、朝飯にだされるカレーがやたらにうまい
日本人の口にあっているのだろうか
思わずお代わりをする
実は昨日の朝めしも美味いなー、と感心しお代わりを
したのであった

9時少しまえ、携帯がなる
昨日の韓国人からであった
やはり行き違っていたようだった
結局彼はレジデンシーにつれていかれたようだった
どうりで会えないわけである

再び今日会う約束をし、一緒にラトラ・タクシーに
乗ってヴァイティシュワランコイルに向かう
時間は12時となった

9時過ぎ、約束どおりタクシーが迎えにきた
カリスマ・ナディの予約に行くのだ
しかしこの運転手は場所を知らず迷っていた
仕方なく自前のGPSで場所を調べ
道を指図に9時半ごろにはカリスマ・ナディの
道場についた

カリスマ・ナディは今日はご機嫌なようだった
元気かい?
と声をかけられた
道場は既に予約を済ませセッションに来た人で
埋まりつつあった

6月の予約を希望している・・、とのことを伝えると
「もう6月は一杯だよ、7月ならOKだ」
と言われ愕然とする
はじめにこのカリスマ・ナディを訪れた時は
一ヶ月前で予約は十分だったのに、今は
2ヶ月前に予約を入れなければならない状態となっている
一度彼のセッションは体験済みなので
ある意味では納得がいく
悔しいが今回はあきらめることとする
本当に彼の予約は難しい
今自分の中では最もホットな場所なのに・・・・

ホテルに戻りチェンナイを離れるために
パッキングをする
そうこうしてるうちに韓国人バックパッカーとようやく
会うことができた
彼が旅をしてきた経緯を聞いてタフな男だと感心する
チェンナイにもナディがあることを伝えたのだが
やはりVAITHISWARANKOILに行きたいようだ

12時過ぎ、ラトラ(タクシー運転手)が約束どおりやってきた
彼とは付き合いが5年以上になるので安心する
早速、車に乗り込みチェンナイをあとにした

途中チャイ屋で休憩し、ポンディッチェリーに到着
昼食タイムである
今後2週間ほど、葉の館のある村に留まり
ストイックな生活を送らねばならないので
ポンディで最後のビールを飲むことにする
韓国人の彼と3本のビールを食らう
ついでにサンドイッチも食べた

レストランをあとにし、CITIBANKに立ち寄り
お金を引き出し、これからの2週間に備えた
車に乗り葉の館の村を目指す
約3時間、寝ているような半分起きているような
中途半端な状態で車に揺られる

村の常宿についたのは20時過ぎだった
荷をほどき戦闘態勢を整えベッドに倒れこんだ

(それにしてもチェンナイ近くで冷やかし半分で立ち寄った
ホテルはきれいなものだった
あまりにも周りとの格差がありすぎた)


2007年5月20日 シバサミーの館

9時過ぎ館に赴く
一通りの挨拶を済ませ
3月に同行したガールズからの贈り物と手紙をナディたちに渡す
とてもうれしそうに手紙を読み
贈り物を大事に手に取っていた
やはり温かみのある人と人のつながりはうれしいのであろう
こちらが恥ずかしくなるくらいの喜びようであった
幸福なひと時である

10時過ぎに検索を開始する
検索開始から3バンダル目(3束目)
依頼者のすべての情報が1枚の葉に詰め込まれた
たった1枚が特定された

依頼者の名字、名前、依頼者のもうひとつの名前、
生年月日、兄弟の構成、両親の名、存命他界、仕事
そのすべてが明確であった

検索の様子を横で見ていた韓国人の彼も驚きを
隠せないようだった
なにしろ彼はディスカバリーチャンネルで見たものを
はじめて生で体験しているのだから無理もない

何度検索をしても最後の葉が特定される瞬間は快感である

午後は韓国からきた彼の検索を横目で検索しながら
パソコン上の作業や仕上がった英訳の回収、22日より
再開する巡礼のリスト作り等に没頭した

韓国の人の名の発音はナディにとって不慣れな上に難しい
ため検索には苦労していた
当然、予想された結果だった
日本人の名の発音や名前の構成に関しては一部の
ナディは多くの経験を積んでいるため
私とナディ双方にとっては難しいものではないが
韓国の名の発音にはさすがに手間取っていた

しかし夜7時過ぎ、4バンダル目の途中
ようやく念願の1枚が特定された
否が応でも興奮は伝わってきた
困難を伴ったものの充実した検索であった

グルジとともに、日が落ちた村の市場に赴き
明日の海辺でのアートマ・シャンティ・プージャの
ための買い物をした
9人の僧侶への贈り物となるサンダル、腰巻、タオル
法具類を購入した

このアートマ・シャンティの祈祷の前日は
身を清めねばならないため夕食は抜き
コーヒー一杯にとどめた

いよいよ明朝は精神、気力、体力を伴う
アートマ・シャンティ・プージャである

2007年5月21日&22日 シバサミーの館

(更新が遅れ、すいません。非常に思いで深い1日となったため
どのように書くべきか悩んでいました 28日記)

目覚ましが鳴る
手探りでそれを止めた。 5時。
無理やりベッドから起き上がりアートマ・シャンティのための
準備を整えはじめる。
空腹感はない。ミネラルウオーターをのどに流しこむ。
ダルパ(見えない世界と見える世界の橋渡しの役目をもつ聖なる草)を
左手にもち、右手でビデオの録画ボタンを押す
続いて今日のアートマ・シャンティの依頼者に電話をかける。
つながらない。再度かけなおす。不通。

仕方がない。日本はおそらく通勤時間にあたる。
6時近く、グルジが迎えに来た
電話のことはあきらめ、荷物を肩にかけ部屋を出た。
駐車場で運転手ラトラが待っていた
「スワミ、レディ?」(用意はいいかい)
「アーマ」(大丈夫だよ)
と言葉を交わす

携帯が鳴った
日本からだ。依頼者だった
あわてて、携帯を耳にあてる。
どうやら外からかけているようだった。
少々騒がしい雰囲気だ
早速、依頼文を読み上げてもらう。
通常はアートマ・シャンティの祈祷は親族が受けることに
なっているため、この行程を取り入れている。
ようは、アートマ・シャンティの祈祷を代理の者に託します・・・
との宣誓文のようなものだ。
ダルパを握り締め、電話に応対した

車はプーンプハールに向かった
アートマ・シャンティ・カンダムで指定された祈祷を行なう場所である。
聖なる河カウベリとベンガル湾の交わる海辺
そこは成仏できず、転生も解脱も得ていないさまよえる魂が集う
といわれる場所でもある
くわえてかつての津波の被害を受けた場所でもある
100人ほどが命を失ったと聞いた

我々のほうが先に着いてしまったようだ
少し遅れて僧侶がいつものヘルパーとともに
祈祷に必要な品々を抱えてオートリキシャーでやってきた

僧侶はいつもの僧侶で妥協と手抜きを許さない
いつものように砂の上にアートマ・シャンティの祈祷のための
紋様を描き始めた
そして、赤、緑、黄色等のビブーティを撒いていく

準備が整いつつあるようだ
他界した者の写真を僧侶に預け
私は海に水桶を片手に向かった

ゆっくりと桶を片手に海に入っていく
少しひんやりとする
沐浴をし、祈祷のために体を清める
地平線に向かい、祈祷が成功するように手を合わせる
その後、桶にいっぱいの海水をくみ上げた
これは祈祷で聖水として使われる

5分ほど砂浜を歩き、祈祷のための紋様の描かれた場所に戻る
聖水の入った桶を僧侶に手渡した
「シャル・ウィー・スタート?」
彼はいつもこのように聞いてくる
いつものように穏やかな口調だ
「オーケー」

まずは四角く結界が描かれた外側に僧侶と向かい合って座した
真ん中にはバナナの葉の上にのせられた他界している者の写真
さらにその上にはダルパが写真に紐でくくりつけられている

僧侶がマントラを唱え始めた
続いてビブーティを私の右手一杯に渡し
そのうえに水をたらす
僧侶の一挙手一投足を真似ながら
水に溶かれたビブーティで自らの体に紋様を描いていく

いつも思うのだが、ジャングル奥深くの部族の中で
特殊な呪術を受けているような気分になる

続いて写真に対してアルチャナを行なっていく
この前半の行程はさまよえる魂を写真に呼び戻すため
に行なわれる

この過程で2度ほど武者震いに襲われた
不思議な感覚だった
今まであまり味わったことのないものだ

やがて、前半の行程を終え、中盤へ
四角く象られた結界の中に移動する
(写真1枚目)
中心で火がたかれホーマムが始まる
これらの行程は、成仏できていないさまよえる魂
の未練や欲望を焼き溶かし浄化させる・・・という意味が
あるようだ



太陽に体を焼かれ、目の前では火に焼かれ
めまいがするようだった
しかしこの行程で再び3度ほど武者震いに襲われ
首筋に生温かいものを感じた
寒くはないのに妙だな・・、と思いながらも
他界した者の魂が降りてきているのだろうと
うすうす感じていた

実はインドに発つ前にこの祈祷の依頼者より
メールを頂いていた
そこには依頼者の想いが切々とつづられていた
そのメールを目にして、なんとかこの祈祷を
通して状況が好転しないだろうか・・と思っていた
そのため、この祈祷に望む前日から
いつも以上に自分自身で気持ちを高めていた

やがて、祈祷は後半に突入する
再び、結界の外にでた
僧侶が他界した者の写真の下に藁をしいた
その写真に対して、私は背中を向け、左手に火の
残っているさきほどのホーマムで使われた焚き木を持ち
そのまま写真を見ずにひざまずき
藁に火をつけた

火のうつった藁は写真とともに勢い良く燃え出した
さまよえる魂をシバ神の御許に還す行程である
写真は藁とともに炭と化した
次にバナナの葉の上で炭を人型に整えていく
(写真下)


亡き魂が浄化された象徴であろう
マントラをそれに向かい唱え、やがてそのバナナの葉を
四角く折りたたんだ
僧侶がそれを私に手渡し、カウベリ河を指差した
私はうなづき、それを手にし河に向かった
そして後ろ向きに、その葉を投げた
亡き魂を大地・天に還す行程である

その後、いくつかの行程を経て
祈祷の開始から約2時間ですべての工程を終えた
最後は再び、ベンガル湾に向かい
沐浴し、最後の供物ー亡き魂やその先祖に捧ぐーを投げ入れ、右手に結わえられた
ダルパを解き捨て、 手を合わせ、亡き魂の浄化を願った

昼過ぎ、ホテルの部屋に戻った
気力、体力を使い、陽に焼かれ疲労困憊していた
海水に浸された体を真水で洗い流し体を横たえた
しばらく思考のすべてが停止する
ビデオに向かって祈祷が無事に終了したことを
伝えねばならないのだがそれさえも億劫となってしまった

1時間後、疲れた体に鞭打ち、館へ
翻訳の録音作業を行なう
3人分、5カンダムをIPODに収録
やがて夕方に・・・

アートマ・シャンティ・カンダムに指定されたもう一つの儀式
ゴプラ・ディーパムの用意を行なう
グルジに商店でオイル10数リットルとコットン2メートル
を購入し、VAITHISWARANKOIL寺院へ向かってもらう

この寺院のゴープラム(門塔)の両端に
亡き魂がすみやかに神の御許へ到達するよう
その道しるべとなる火を天に向かって灯すのである

19時ごろであろうか
ナディとともに寺院へ確認に向かう
陽は落ちていた
混沌とした商店街を通り抜け
ゴープラムに向かう
寺院の参道を少し進み、右手に折れて
目の前の階段を上がり振り向いた
そこには空に向かってそびえるゴープラムがあった

その両端に確か火が灯されている
亡き魂の名をもってともされているのだ
その火は真夜中近くまで灯されるらしい
手を合わせ、その場をあとにした

部屋に戻り、ノートパソコンを立ち上げ
メールのチェックを行なう
今日のアートマ・シャンティ・プージャの
依頼者からのメールが入っていた
早速、開く

驚くべき内容が記されていた
その内容に震撼し、依頼者の興奮が押し寄せ
胸が熱くなった
ほぼ、祈祷が開始された時刻、依頼者は
一本の電話を受け、10数年にわった苦しみから
開放されたというのだった
(個人情報につき、詳しいことは記せません)
私は何度もそのメールを読み返した
これほどの驚くべき内容、
そして心深く響いたメールを
いただいたのははじめてかもしれない

時には私自身、代行で巡礼や祈祷を行なって
何になるのだ・・と自問自答することもある
そんなことを払拭するかのような内容・出来事だった
見えない世界は信じるに値する・・・と再認識も
したし、続けてきてよかった・・と素直に思った

しかし、そこには依頼者の真摯な想いや願い、
僧侶の妥協を許さぬ姿勢(私は彼が立派な霊媒だと
思っている。本人は自覚がないと思うが)、
私自身の気合や意気込み、祈祷を手伝ってくれる人々、
そして亡き魂の想いの調和がもたらされた結果
起こった奇跡、出来事なのだと思う

いつもこのような顕著な事柄を体験できるわけではないが
見えない世界の深遠さを改めて感じさせられた出来事であった
私にとって生涯忘れえぬ日となった
この日のアートマ・シャンティ・プージャの感覚は
私の中に残り続けるだろう

ベッドに横たわりながら
いただいたメールを何度も反芻し
眠りについた

22日

7時、ホテルを出発する
向かうは THIRUMANANJERRY である
この寺院ではシバ神とパールバティ女神が一対となり
安置されている
つまり、結婚に縁のある寺院というわけである
朝にもかかわらず、この寺院では新婚のカップル
そして良縁を望む男女がシバ神とパールバティ女神の
恩恵に授かろうと訪れていた

まず祈祷の前にディーパム(ランプ)を灯し
祈祷が滞りなく行なわれるように祈る
その後、シバとパールバティに対してアルチャナを祈祷する
何度も通いなれたこの寺院ではいつもの若干オカマっぽい
小さな僧侶がいつもと変わりなく誠実に巡礼者に接していた
その姿は毎回印象に残るものである

アルチャナが祈祷される間、依頼者からお預かりした
写真を掲げ良縁がもたらされるよう祈った




THIRUMANANJERRY

SWAMIMALAI へ
この寺院は有名でいつ訪れても巡礼者でにぎわっている
この寺院の主神はスブラマニア神である

そのご神体は私の身長をはるかに超えるものであり
さらには異様なエネルギーを放っている
まずはガネーシャ神にアルチャナを祈祷し
その後、主神であるムルガ(スブラマニア神)に対する
アビシェーカムにのぞむ

アビシェーカムの祈祷が行なわれる間
巡礼者は僧侶の一挙手一投足を見逃すまいとする
ムルガを称える祈りの唄を歌う者
「おー、ムルガ神よ」と賛美の声を上げる者
雰囲気は祈祷が進行するに従って深まっていく
インドを訪れた際には是非体験していただきたい祈祷である

最後のランプがご神体に掲げられる時
寺院の空気は絶頂に達する

私としては寺院内部の沸騰したかのような暑さと
隣のインド人と肌がふれあい
汗が混ざり合う感覚で 気がふれそうなのだが
巡礼者はそんなことはお構いなしである

圧倒的な空気のなかアビシェーカムは幕を閉じた

その後、シバ神とパールバティ女神にアルチャナを祈祷し
無事にSWAMIMALAIでの巡礼を終えた


SWAMIMALAI

昼食後、THIRUNAGESHWARAM へ
この寺院では惑星ラフー神にアビシェーカムを行なう
かなり有名な寺院でラフーのアビシェーカムの
時間には、ディズニーランドのアトラクション待ち
のような状態で長蛇の列ができる
一回のアビシェーカムにそれこそ何百人
という人々が手を合わせ一心に祈る
その雰囲気は他では味わえないものである
インド独特のものであろう


THIRUNAGESHWARAM

THIRUVILLIMILALAI へ
私自身、はじめて訪れる寺院である
SWAMIMALAIやTHIRUNAGESHWARAM
と違い巡礼者も少なく落ち着いた雰囲気である
ようやく私も一息つける感じであった

静かで穏やかな雰囲気のなか
シバ、パールバティ、ガネーシャにアルチャナを祈祷した
今日の巡礼の締めとしては最高の寺院であった


THIRUVILLIMILALAI

ホテルに戻ったのは21時近くだった
すぐにネットの仕事にとりかかった
受領した英訳の送信やメール書き
に追われ仕事から解放されたのは朝3時だった



2007年5月23日 シバサミーの館

6時45分、ホテルを出発
KEELAPERUMPALAMへ
まずガネーシャ神、シバ神、パールバティ女神に
アルチャナを祈祷する
そのあと祈りながら寺の内部を7周する
そしてメインの祈祷であるアビシェーカムを惑星ケートゥ神
に捧げた

この寺院は比較的清潔で雰囲気も良く心地よい寺院である


KEELAPERUMPALAM

THIRUVENKADU へ
一気に気温が高まってくる
KEELAPERUMPALAM と異なり
かなり有名なこの寺院は多くの人々でにぎわっていた
この寺院の主神である水星神にアビシェーカムを捧げる
熱気と暑さで汗だくとなりながらの祈祷であった
この日はいつもアートマ・シャンティの祈祷を行なってくれる
シャンムハンの姿はなかった


THIRUVENKADU

MANGAIMADAM へ
さきほどの寺院と異なり、我々以外の巡礼客はいない
とても静かで穏やかな気分となる
祈祷が始まるまでのあいだ、床に寝転び体を休める
この寺院の僧侶は唯一私の名を覚えている
いつも訪れると「ノリキトー」と満面の笑みを浮かべる

ビシュヌ神とラクシュミ女神それぞれに
サガストラーナマ・アルチャナを祈祷する
この祈祷はそれぞれの化身の御名を1008回唱えるものである
僧侶の音魂が祠にこだましうっとりとした気分になる

いつも彼は心地のいい祈祷を行なってくれる
ここのご神体のビシュヌ神も迫力のあるものである
しかしそのご神体はこの僧侶の愛情なくして輝きは放てないのだろう
それほど僧侶の人柄が表れている寺院である


MANGAIMADAM

一旦ホテルに戻りしばし休憩する
知らない間に熟睡していた
携帯が鳴り響きたたき起こされた
ナディからの昼食の誘いだった

ナディの自宅で韓国人バックパッカーとともに
奥さんの料理をご馳走になる
いつもながらにおいしい

16時、再び巡礼へ
THIRUNALLAR に向かう
途中、韓国人バックパッカーを列車の駅で降ろし
別れを告げる
彼は更なる葉の探求、その後北インド
そしてヨーロッパへと旅を続けるようだ

THIRUNALLAR は有名で巨大な寺院である
それほどは大きくはないがご神体は土星神である
台座をふくめ40cmほどであろうか
その小さなご神体は多くの人々を呼び集める
この寺院はいつ来ても超満員の状態で熱気に満ちている

ガネーシャ、シバ、パールバティにアルチャナを祈祷したあと
メインであるアビシェーカムを土星神に捧げた


THIRUNALLAR

宿に戻ったのは21時ごろだった
ためている日記を綴らなくてはならないのだが
思考も体も止まってしまいどうにもならない
寺院を収めた写真をアップするのが精一杯だった

 

2007年5月24日 シバサミーの館

7時半すぎホテルを出発
約50分ほど車で走りKADIRAMANKALAMへ
私自身もはじめての寺院である
この寺院では VANADURUGA (森のパールバティ女神)
に対してアビシェーカムを行なう
穏やかな雰囲気のなかにたたずむかのような寺院であった
またご神体であるVANADURUGAは見事なものだった

初老の僧侶がアビシェーカムを祈祷した
台座をふくめ2メートルはあろうかというご神体である
初老の僧侶はスツールの上に立ち、アシスタントの
僧侶のたすけを得てご神体に、ココナッツ、ローズウオーター
サンダルウッド、ギーオイル、ミルク等を丁寧にかけていった
その一挙手一投足はとても遅いが見えない世界・神々に
対する愛情に満ち溢れていた

その後、カーテンが引かれご神体は隠された
マントラを唱えながらのデコレーションが始まっている
この所作も大変な時間を要したものであったが
カーテンが解かれたVANADURUGAは見事な変身を経て
オーラを放っていた
この様子を撮影してお見せできないのが残念でならない
通常はこのアビシェーカムの神卸の儀式は形骸化
されているがこの初老の僧侶のパフォーマンスは見事かつ
愛情に満ち魂に響くものがあった


KADIRAMANKALAM

その後、ALANGUDI へ向かった
木星神を主神に祭る寺院である
駐車されている車の数から判断して
寺院は空いているかと思われたが
大間違いだった

今日は木曜日、その幸運の日、木星神の恩寵に授かろうと
寺院の内部は巡礼客のため長蛇の列をなしていた
ご神体自体は60cmほどの小さなものなのだが
この寺院はこの木星神で有名で大概いつきても混んでいる

寺院の内部は風通しが悪い
とくにご神体が安置されている祠は最悪である
日中の猛暑と人々の熱気で沸騰している
立っているだけでも不快なほどだ

そのむごすぎるほどの暑さのなか
半分意識は朦朧としながらも
アビシェーカムに意識を集中し祈祷に望んだ
私のヘルプをしてくれているナディのグルジでさえも
「ベリー・ヒート」とぼやいている

すべての祈祷を終え寺院の山門をくぐり出たのは13時半だった
灼熱した太陽に焼かれた地面が私の柔な足裏を焼いていた


ALANGUDI

ミールスの昼食をとり、THIRUVALAMCHUZI
に立ち寄り後日の祈祷の予約をした
今日の最後の巡礼の寺院 KANJANUR に向かう

KANJANUR でのアビシェーカムは17時半からである
多少早めについたのでしばしぼーっとする
昼過ぎから近くで雨が降っているせいか
風が穏やかで涼しくなっている
今朝、父親から電話があり
映画「深い河」でお世話になった熊井啓監督が他界した
ことを知らされた
みなさんの巡礼をしながらも
監督のご冥福を祈った

17時過ぎ寺院の内部へ
まずは金星神にアルチャナを行なう
ここの金星神は、その妻とともに安置されている
どうやらこの寺院もTHIRUMANAMJERRY 同様に
結婚と関係があるようだ

そしてメインの祈祷であるシバ神とパールバティ女神に対する
アビシェーカムをそれぞれに行なった
この寺院でのパールバティ女神のアビシェーカムは
大変興味深くカーテンが引かれた状態でその背後で行なわれる
こちらにはご神体にミルクやサンダルウッドをかける音だけが
こだましてくるのである
なんとも神聖な感じがする

私とともに一組のインド人家族がともにアビシェーカムを
受けていた
どうやら彼等はアガスティア・ナディの救済法でここに巡礼に
訪れたようだった
祈祷の途中でこちらがシバ・ナディの救済法の巡礼だと
気づいたらしくグルジと会話を交わしていた
シバ・ナディとアガスティア・ナディ、妙な気分だった

すべての祈祷を終えたのは18時半ごろだった
すべての祈祷を終えた充実でしばらく車の傍らに立ち放心する
ホテルに戻ったのは20時過ぎだった

明日は館で翻訳の録音をすることに決めた
21日から今日までの4日間で相当疲労してる
極度の日中の暑さ、両足に発生した謎の発疹、
寺院内部の不衛生、軽いやけどの両足裏等
精神力も体力も消耗した

明日は静かに館で仕事を行い
一旦リセットし、明後日から再び巡礼に臨むことにした

熊井監督よ、安らかにお眠りください


KANJANUR

2007年5月25日 シバサミーの館

9時半に館に向かう
11時ごろから14時過ぎまで3人分の英訳の
録音を行なった
ナディが葉をそのまま書き写した小冊子を読み上げ
翻訳者が英語に翻訳し読み上げるというものだ

昼食後、緊急の依頼のアートマ・ビシャラナの検索を行なった
検索に必要な情報はデータで昨夜日本から届いていた

多少、情報が足りないかとも思ったが検索を行うことにする
生年月日、没年月日、性別、依頼者の性別のみを
ナディに伝える

1バンダル目の紐が解かれた
検索が進んでいく
途中、どうしても答えなくてはならない質問にぶつかった
携帯で日本と連絡を取りながらなんとか検索をすすめていく
その合間に検索に必要な情報がメールで送られてくる
はらはらするような検索である
おそらく日本にいる依頼者もそうだったのではないだろうか

途中、ビデオの撮影が困難となった
急な依頼だったため空のビデオテープが不足していたのだ
ビオででの撮影をやめ、IPODに録音機器をとりつけ
検索の様子を音声のみで記録していく

2バンダル目の中ほど後半、空気が変わる瞬間があった
ナディが何かを感じたのであろう
気配を私も感じ、テープ残り20分のビデオを再びまわし始める
他界している者の名、名字、その両親、夫の名、兄弟姉妹の数、
子供の数、依頼者の名、名字、依頼者の両親の名までが1枚の
葉につづられていた
大変に満足のいくアートマ・ビシャラナ・カンダムの検索であった
くわえてアートマ・シャンティ・カンダムの開示も依頼した

いい仕事をした、と悦に入りながらホテルに戻った

 

2007年5月26日 シバサミーの館

7時、ホテルを出発
向かう寺院は、THIRUVALAMCHUZI である
マイラールドュライを経由し朝のコーヒーをとり
村から村へ道をひた走る
約2時間後、THIRUVALAMCHUZI に到着
私にとってはこの寺院ははじめてである
13章で指定された救済法は1つのガネーシャ神に
対してアビシェーカムを、そしてもう一体のホワイト・ガネーシャに
ナマスカール・アルチャナを祈祷するというものだった

寺院内部左手奥部においてまずガネーシャ神に対する
アビシェーカムを行なう
有した時間は約30分だった
その後、ホワイト・ガネーシャ神の祀られた祠に向かう
そのガネーシャ神はまさしくホワイトだった

先ほどのガネーシャ神は1メートルくらいの大きさだったが
こちらは20−30cmほどの大きさのご神体である
それはそれは小さなご神体なのだが思わず魅了されるような
力が介在していた

心から手を合わせ、アルチャナを祈祷し
ナマスカールを行なった
はじめのアビシェーカムよりも
このホワイト・ガネーシャのほうが印象的であった


THIRUVALAMCHUZI

気温がぐんぐん上昇するなか、こちらも
私にとってのはじめての寺院である
PATISHWARAM に向かう

さきほどの寺院から約20分ほどの場所にある寺院であった
10時ごろに到着したのだが、予約していたアビシェーカムが
11時からとのことなので食堂で軽い朝食をとる
それにしても汚い食堂だった
しかしある程度は食事をとらないとばてるため我慢であった

このPATISHWARAM ではドゥルガ・デヴィに対して
アビシェーアムを行ない、108個のレモンでできたマーラ(首飾り)
を捧げろ・・・というものである

10時半近く、グルジとともに山門(ゴープラム)をくぐる
正面、目に飛び込んできたのは目をみはるほど美しい女神像だった
見事なデコレーションが施されている
おもわずグルジにこの女神像にアビシェーカムを行なうのか?
と聞いたほどだ
そうだ、これがドゥルガ・デヴィだ・・とのことだった

アビシェーカム開始が遅れており、依頼者の写真を手に持ち
その他の神々にあいさつにまわった

11時半、僧侶に依頼者の名前を告げ、真言が唱えられ
いよいよ祈祷が始まった
まずご神体のデコレーションが解かれ、黒光りした
ご神体が姿をあらわした
ご神体には薄い布が胸元から膝にかけてたらされている
これは女神像であるからであろう

4人の僧侶がマントラを唱和するなか、ご神体に
様々なものがかけられていく
サンダルウッド、ミルク、ローズウオーター
菓子、ココナッツ、ギー、約30分ほどで
祈祷の前半部分が終了した
ランプが灯され、祠にカーテンが引かれた

これからはデコレーションの時間である
108個のレモンマーラが飾られたり
衣装が施されていく
この寺院ではこの作業が異常とも思えるほど長かった
ゆうに1時間はただ座って待っていただろうか
いい加減あきて、席を立ちたくなったほどだった
グルジに時計を指差し、長すぎないか?
と合図を送るのだが
「スワミ、もうすぐだから・・」
とジェスチャーを送ってくる

足元をゴキブリが這い、石壁の合間からは
大きなねずみが顔をのぞかせていた
ひたすら忍耐である

と、突然カーテンが開かれた
そこには美しく着飾った女神像があった
反射的に依頼者の写真を掲げ祈りを向ける
次の瞬間、私の背後の女性がドゥルガ・デヴィを称える唄を
歌いだした
その声色の美しさに今まで待たされたいらだちが消し飛んだ
それはそれは素晴らしい歌声だった
その場にいた全員がその歌声に魅了された
女神に対するアビシェーカムは見事な調和のもと閉じられた


PATISHWARAM

ホテルに辿り着いたのは16時すぎだった
どうやら連日の祈祷で疲れ果てているようだ
2時間ほど、館に行き翻訳の録音作業を行なおうかとも
思ったのだが、部屋から出ることはなかった
簡単に選択を済ませ、クーラーを最強に設定し
ベッドに倒れこんだ

パソコンに向かい始めたのは23時過ぎだった
体感的には一ヶ月ほどインドに滞在している気分である
実際は1週間ほどなのだが・・・・

2007年5月27日 シバサミーの館

今日は幸運の日、いわゆる大安のようだ
あちらこちらで婚礼が行なわれ、村中活気にあふれている
太鼓や笛の音が鳴り響いている

どこか浮ついたような雰囲気が流れている
今日はどの寺院も多くのひとだかりが予想されたため
そして祈祷の予約がとれそうにないため
館で英訳の録音作業をすることにした

約4カンダム分をIPODに録音した

明朝は再び、アートマ・シャンティの祈祷に望む
場所はいつもと同様にプーンプハールである

これから祈祷後の9人の僧侶に対する贈り物の買出しに
出なくてはならない
明朝は9時ごろに祈祷開始の予定である
灼熱地獄となってしまうのであろうか

 

2007年5月28日 シバサミーの館

再び、アートマ・シャンティ・プージャである
25日に開示した方のための祈祷である
本来ならば、命日をタミールの暦に換算した日
2007年6月27日が葉に指定された祈祷日なのだが
私がインドに滞在していないのと、できるだけ早く
行なってほしいとの依頼者からの願いがあり
その命日と同じティディ(月の暦、命日と同じ月の形の日)
つまり5月でいえば今日28日となったわけである

今日は幸運の日、大安のようなもので
婚礼が様々な場所で行なわれており
僧侶も大忙しだった

そのため9時ごろ開始予定だった祈祷は
大幅に遅れ、開始は結局11時半となった

祈祷中、2度、3度と武者震いに襲われる
今回、私自身感覚が鋭敏になっているのだろうか 
それとも、それだけ他界した魂が供養を欲していたのだろうか

祈祷は約2時間にわたって続いた
相変わらず、僧侶は手を抜くことなく祈祷を進行させた
この2時間のあいだ、日本では亡き魂を想う依頼者が
同時に想いをインドに向けてくれている
僧侶の祈祷の進行、私の祈り、依頼者の祈りが重なって
祈祷は進行しているのだ
亡き魂が喜んでくれている様子が思い浮かばれた

一旦ホテルにもどり若干の休憩を取った

館に赴き、1名分の翻訳録音作業を行なった
同時にグルジに村の商店でオイルとコットンを購入してもらい
VAITHISWARANKOILでのゴプラ・ディーパムの用意をしてもらった

18時半ごろ、VAITHISWARANKOILへゴプラディーパムの
確認に向かった
その寺院の門塔の両端では天に向かって火が灯されていた
亡き魂に対して手を合わせ、その場を後にした
火は夜中近くまで灯され続けることだろう

 

2007年5月29日 シバサミーの館

今日は1日とても爽快な気分で過ごすことができた
祈祷のすべてが滞りなく充実したものであった

ホテル出発予定時刻6時から約30分ほど遅れ車は走り出した
THIRUPAMPURAM へ
私自身初めての寺院となる
途中、祈祷の際に神々に捧げるマーラを購入し
8時館に到着
村の中にたたずむこじんまりとした寺院である
その雰囲気がとても気に入った
寺院の前の池では魚の追い込み漁が村人たちによって
行なわれている

寺院に入り、まずは内部を一周し神々に挨拶をする
既にラフー神、ケートゥー神に対するホーマム(護摩焚き)の
準備が整えられていた
その美しさにとてもいい気分となった


THIRUPAMPURAM

その準備には誠実さが感じられた
僧侶は約束どおり7時には準備を終えて待っていたようだ
写真を手渡し、依頼者の望みを伝え祈祷は始まった
通常は上半身裸にならなくてもいいのだが
この寺院の誠実さを全身に感じ、自ら上半身裸となった

23歳という好奇心と若さを備えた僧侶から発せられるマントラ
はエネルギーに満ちたものだった
僧侶の手ほどきのもと、祈祷の手順を追っていく

まもなく護摩がたかれ、果物や供物、
アーユルヴェーダの薬草等を投入していく


ホーマム開始

約1時間にわたって護摩は焚かれ続けた

最後にラフーとケートゥ神を象った大きなスンブに入った
聖水を頭から全身に浴び祈祷は終了した
実にすがすがしい気分であった
今まで多くのホーマムを体験してきたが
この寺院のホーマムは格別である

このホーマムは「ホーマム」は再生という意味合いももつ
そのため、祈祷の際に着用していた腰巻等は
寺院に脱ぎ捨てていくのである

この祈祷は私の精神に多大な影響を与えたようだった
まさに生まれ変わったかのような気分となり
その後、1日上機嫌だった
今日までの精神的な疲れがこの祈祷のおかげで
一気に消し飛んだ

この寺院でのホーマムは次回も喜んで受けたい・・
と心から思い寺院をあとにした

約1時間半かけて
THIRUSHAKTHIMUTRAM へ


THIRUSHAKTHIMUTRAM

この寺院ではシバ神の象徴である男根像にパールバティ女神
が抱きつく形のご神体が祀られている
案内人のグルジに聞けば
この寺院でおまいりをすれば
未婚の人はすぐに結婚できたりと・・
そういった恩寵があるようである

確かに依頼者は未婚であったことを思い出した

13章の指定どおり、そのご神体に
アルチャナを祈祷しマーラを捧げた

クンバコナムという寺院のある比較的大きな街に
立ち寄り14章の護符を入れるロケット(銀製の小さな筒)を
購入、その後、HOTEL RAYA’S のエアコンの効いた
レストランで食事をとった

その後、今日最後の寺院 SURIYANARKOIL へ
寺院が開く、午後16時までかなり余裕があるため
道端の大きな木の木陰に車を停めてしばし昼寝をする

それでも時間があまってしまったので
かばんの中身を整理したり、カメラを磨いたりして過ごした

16時過ぎ、SURIYANARKOIL へ向かう
この寺院ではガネーシャ、シバ、パールバティ、
太陽、木星、金星、火星、水星、土星、月、ラフー、ケートゥ
それぞれにアビシェーカムを祈祷せねばならない
重労働である
まずはそれぞれにディーパム(ランプ)をともし
手を合わせ、その後寺院の内部を依頼者の想いを
描きながら9周する

17時半、いよいよアビシェーカムが開始された
まずはガネーシャ神にアビシェーカム、次に
寺院中心の祠に移り、主神である太陽神、そしてその対面
位置する木星神にアビシェーカムを捧げていく
徐々に巡礼者が増え、熱気が高まっていく
その祈祷が終わる頃だろう、待ちわびていた僧侶がやってきた
近くの寺院から駆けつけてくれたようだ

彼はアビシェーカムが行なわれる際に祠の傍らに立ち
神々に唄を独唱する役目を負っている
彼がこの独唱をはじめるとアビシェーカムがよりいっそう
素晴らしいものとなるのだ
その場の雰囲気を一変させてしまう

前々からなんとかこの僧侶の独唱を記録したいと思っていた
今回はIPODを持参していたのでようやくその想いが叶うこととなった
中心の祠を出て、それを取り囲むように配置されている
惑星神ひとつひとつにアビシェーカムを捧げていく
依頼者の想いを心のうちに描き、彼の美声をIPODに収めていく
祈祷と美声は見事なハーモニーをかもしだし寺院の巡礼者らの
熱気もあいまってそれは最高のものとなった
この最高の雰囲気が日本で待つ依頼者に届くことを祈りながら
寺院をあとにした
(帰国後、この独唱を依頼者にCDでお送りします)


SURIYANARKOIL の露店

THIRUPAMPURAM のホーマム から
SURIYANARKOIL のアビシェーカムまで
今日は本当に楽しい1日だった

帰りの車の中でも
眠りに入るベッドの中でも
何度もこの僧侶の神に捧げる唄を
聞き返しそれを味わった

おそらく明日も何度もIPODを再生させ
この唄を聞くだろう

明日はもうひとつのホーマム
THIRUKKADAIYUR が待っている

 

2007年5月30日 シバサミーの館

9時過ぎ、ホテルを出発
THIRUKKADAIYUR へ
10時過ぎ、気温が沸騰し始めた頃、到着
そこは予想を大きく上回る人だかりであった
この寺院は今回の13章の救済法で指定されている
アーユッシュ・ホーマムで有名である
日本的に言う金婚式・銀婚式を迎えた夫婦が更なる長寿と
繁栄を祈ってアーユッシュ(長寿)・ホーマムが捧げられる
長寿とともに健康にも効くとされている


THIRUKKADAIYUR

寺院内部では幸運の日なのか、多くのアーユッシュ・ホーマム
があちらこちらで行なわれていた
この寺院の祈祷ではお二方の名前があがっている
一人はこのホーマム、そしてもう一人は寺院に祀られる代表する
すべての神々にアルチャナを祈祷する・・というものである


アーユッシュ ホーマム

まずはホーマムを祈祷する
僧侶の導きに従ってサンスクリットのマントラをを復唱し
依頼者の名を時に口にする

時に立ち上がり、神々を象った聖水の入ったスンブに
アルチャナを祈祷する

さらには僧侶の指示のもと、何度も地面にひれ伏した
五体投地を神々と依頼者の想いのもと行なう

その後、3人の僧侶に囲まれ、マントラが復唱される中
護摩焚きが始まり、様々なアーユルヴェーダの薬草類が
火なの中にくべられた

ホーマムが無事に終わった後
お二方の写真を持ち、神々に対するアルチャナを祈祷していく
ガネーシャ神、シバ神、マルケンダヤ神、パールバティ女神
にアルチャナを祈祷していく
どの祠もあふれんばかりの人で埋め尽くされていた
上半身裸となった肌が汗にまみれた他者の肌とふれあい
不快極まりない状態だった(笑)

すべての祈祷を終了した

ホテルに戻り、大量のスプライトを胃の中に押し込んだ
そのままベッドに倒れこんだ
気がつけば15時半となっていた

館に赴き翻訳の録音作業を行なおうと
思ったのだが、顔を出してみると翻訳者は既に
家路についていた

急遽、予定を変更しTHIRUPANGUR への
巡礼を行なうことにする
予定の16時半より、約1時間遅れて出発
ホテルより、シバサミーの館の前を通り
村の奥部へと分け入っていく
およそ15分足らずで寺院に到着

この寺院にはシバ神の乗り物であるナンディ像が祀られている


THIRUPANGUR ナンディ像

寺院では祭りの準備のため祈祷が行なわれず1時間強待つこととなった
シバ、パールバティ、ガネーシャ、ナンディにアルチャナを祈祷する
寺院内部はすっぱい臭いが充満していた
これはこうもりとこうもりの巣のためである
薄暗い密室の寺院内部はこうもりの巣に適しているようだ
祈祷の合間もまわりをこうもりが飛び交っていた

僧侶は忙しすぎるせいか若干ご機嫌がななめである
最後に巨大なナンディ像にアルチャナを唱え
すべての指定された祈祷を終えた

17時半ごろに到着し、祈祷を終えたのは19時半近くだった
空に向かってそびえるゴープラム(山門)の上には満月が光っていた

予定ではこのあと障害をもつ子供たちへのフリーミールへ
出かける予定だったがこの寺院での祈祷が大幅に遅れたため
明日に延期することとした

1日が終わる頃には気力も体力も使い果たしている
部屋に戻ると時には搾り出すような感じでパソコンに向かうときもある
これでけ毎日祈祷を行なっていると「俺は僧侶か?」
と錯覚してしまいそうである(笑)

 

2007年5月31日 シバサミーの館

10時過ぎより、翻訳の録音を開始する
ナディがタミール語を読み上げ、翻訳者がそれを
英語に直訳していく

14時近くまでこの作業を行なった
その後、ナディの家に行き、奥さんの小エビカレー
をご馳走になる
これが意外にうまい、珍しくおかわりをし、驚かれた

部屋に戻り満腹となった体を横たえる
いつのまにか寝ていた

18時半、ホテルを出発
隣町の障害者の孤児院へ向かう
13章で指定された障害者45人へのフリーミールを行なうためである
途中、道路工事に阻まれ予定より30分遅れの19時半に到着
何人かの子供たちが出迎えてくれた

この施設では全員で130人ほどの障害者がいるようだ
ホールに集められたそのなかの60人ほどの子供たちに食事を
振舞っていく
何人かは渡しにとって新顔であり、何人かは記憶に残っている
ジェミニは成長の遅い少年だが、いつ来ても活発で可愛らしい
格別にビデオに興味を示す
この日はカメラは向ける気にはなれず、子供たちに別れを告げた

一人、会いたいと思っている少女がいた
彼女の名はラクシュミである
ラクシュミとは富の女神である
前回、2006年の3月か6月だったと思うが、
この施設を訪れた時入所して間もない少女を院長
に紹介された
彼女は農業を営む貧しい夫婦の赤子で
生まれながらにして両腕が無く、
母親は精神に障害を抱え、その父親は生活がとても
苦しく止む無く彼女を施設に預けることにしたのだという
院長は「とても聡明な子供なので物心がついて、彼女が自らの
境遇をしったときどれだけ傷つくだろうか・・」
と言葉をもらしていた
確かにその顔つきからは彼女が持つ聡明さが感じ取られた

その少女がどのように成長しているのか、自らの目で確かめたかったのだ
「ラクシュミ、イルカッ?」
と案内をかってくれていた少女にきくと
「エンゲルケ (あそこにいるよ)」
と別棟の建物を指してくれた


障害者へのフリーミール 腕のない少女ラクシュミ  ↑

その少女は立派に成長しており、自らの足で歩くようになっていた
私がはじめて彼女に出会ったときには確か生後6ヶ月ほどだった
体も大きくなり、人見知りをするようになっていた
私が手を差し伸べようとすると半泣き顔になった

写真撮影では皆大喜びとなった
そうでいながらも子供たちの雰囲気からはラクシュミ
を気遣う様子がうかがえた
愛のある光景だった
人はみな人を必要としているのだ

ほぼ毎回この施設を訪れるのだが
帰り道ではいつもいいようのない気持ちにおそわれる
遅いながらもゆっくりとした子供たちの
成長を見るのは喜びでもあるし、
ここを訪れるたびに悲しみにも似た感情を抱く

満月の光を浴びながら宿へと向かった

2007年6月1日  シバサミーの館

9時少し前、宿を出発
予定していたTHIRUMEICHUR の予約はとれず
ETTUKUDI と THIRUKKOLLIKADU の2寺院へ
巡礼することとなった

約2時間、町や田んぼやでこぼこ道を走りぬけ
ETTUKUDI に到着、11時だった
しかしスブラマニア神に対する
アビシェーカムは12時半からと言われ
止む無く炎天下のなか、茶店で時間がすぎるのを
ひたすら待つ
そのあいだ、グルジはひたすらアビシェーカムのための
供物の準備に追われていた

12時半過ぎ、ようやく祈祷を開始する
ガネーシャ神、シバ神、パールバティ女神にアルチャナを祈祷し
最後にスブラマニア神に対して、アビシェーカムを行なった
祈祷後、いただいたプラサーダ(供物)を巡礼者らにふるまった

寺院の傍らでは、何のお祝いかはわからないが
赤子から3歳くらいの子供まで、耳にピアスを入れる
儀式?が行なわれていた
子供たちは痛みに耐え切れず絶叫していた
その音をかき消すように太鼓が叩かれ笛が鳴り響いていた


ETTUKUDI のサドゥー

ETTUKUDI の近くの食堂で
ミールスを胃の中に押し込んだ後
THIRUKKOLLIKADU へ

ETTUKUDI 、 THIRUKKOLLIKADU
は今回の巡礼のなかで、宿から最も遠い場所に
位置している

THIRUKKOLLIKADU へ着いたのは15時
寺院の門は閉まっていた
通常寺院は12時から16時は昼休みである
寺院まえの広場では少年たちがクリケットに興じている
やることがなく池に面して腰巻を地面にひき
寝転がりクリケットの様子やヤギ、牛をながめた

16時過ぎ、寺院に入り
まずはパールバティに対してディーパムを灯す
これは依頼者の13章の救済法のひとつで
1マンダラ(48日間)のあいだの毎金曜日に
パールバティ女神に対してディーパムを灯せ・・・
というものだ

その後、本格的に祈祷が始まった
まずは土星神に対するアビシェーカム
ここの土星神は台座をのぞけば約30cmほどの
大きさしかない

この寺院の雰囲気にとても似合っている
またこの寺院の僧侶の人柄がよく
「ほー、はるばる日本から来たのかい?」
と毎回ながらに聞いてくる
そしてとても丁寧にゆっくりと祈祷を行なってくれる
いつも安心してみていればいい

アビシェーカムのあと、ガネーシャ神にアルチャナ
そして中心の祠に移動してシバ神、パールバティ女神に
アルチャナを行なう
祠のなかでは、生まれたての子猫が足を震わせながら歩いていた
のどかな光景だ
観光地化されている大寺院だとこうはいかない


THIRUKKOLLIKADU

祈祷が終わると僧侶は
スクーターにまたがり去っていった
どうやらあまりからだが丈夫ではないようだ
そういえば以前も足を怪我していた

宿に帰り着いたのは21時だった
残す寺院はようやくあと2つとなった
明日は THIRUMEICHUR である

 

2007年6月2日 シバサミーの館

5時起床、5月30日、6月1日の日記を書き始める
9時にはTHIRUMEICHUR への出発となるので
それまに仕上げねばならない

それが終わるとホテルの受付横の長距離電話回線
につなぎメールのチェックとホームページの更新を行なう
回線が細く遅いので30分から1時間は時間を要する
日本なら5分なのに・・といつも思ってしまう
このおかげもあって寝不足なのだ

9時半すぎ、宿を出発 THIRUMEICHUR へ向かう
11時少し前に到着
この寺院ではラリタ・デヴィ(パールバティの化身)
に対してサガストラーナマ・アルチャナという祈祷を行なう
この祈祷はパールバティ女神の化身の名を1008回唱える
というものである

ゴープラムをくぐり、すぐ右手にご神体のラリタ・デヴィは座していた
そのエネルギーは異様だった
素直に素晴らしいと思った
なにかが宿っている力がある

聞けば毎月の満月の日にはこのラリタ・デヴィには何かが宿る
といわれているようだ
そういえばこの寺院では昨日までお祭りが催されていた
昨日までの7日間は多くの人でにぎわっていたようだった
まさにその余韻が残っているかのようだった
きれいな装飾が施されたラリタ・でヴぃは生きているようだった

ガネーシャ、シバに対してアルチャナを行なったあと
しばらく待った後、11時半すぎ、サガストラーナマ・アルチャナ
がはじまった
その女神の正面に座し、そのご神体を見つめた
自然と心は空になった
まるで心が見透かされているようで
なんともいえない調和だった
この女神を写真に取れないのが残念でならない
満たされた30分だった
その後は僧侶よりいただいたプラサーダを皆にふるまった


THIRUMEICHUR ガネーシャ神

いよいよ巡礼も残すところ1寺院ーTHITTAI のホーマム
一人となった
(みなさまお疲れ様でした。インドに意識を向けていただき
ありがとうございました)

宿に戻り、昼食を取ろうと思ったのだが
寺院への巡礼客でごった返しておりあきらめた
館に向かう
館でも土曜日ということもあり多くの人が検索にきていた
ムンバイのBOLLYWOODの関係者も俳優か監督かに
薦められて葉を開きにきていたようだ

やることがなく途方にくれていると
ナディが昼食に誘ってくれたので着いていく
今日はフィッシュ・カレーであった

16時、館に戻り翻訳の録音作業を開始
このときの録音は私が開いた最年少記録の録音だった
予言の内容は24歳のときまで記述されていた
その後は、必要なときに改めて開くとよいだろう・・・とのことだった
対象者が若い場合、ときおりこういったパターンがでるのである

2人目のジェネラル・カンダムの録音中
急に停電に見舞われた
まあ、いつものことである
ナディが小冊子を読めなくなったので小休止である
通りが若干騒がしいので様子を見に行く

そこには恐るべき光景が広がっていた
野良犬が口から血を吐き出し目をかっと見開いている
その首にはワイヤーが撒きつけられ、それは棒につながり
男の手に握られている
カウボーイの投げ縄のような構造になっている
野良犬はワイヤーで首を締め付けられ
全身が痙攣し今にも死にそうである
男はお構いなしにとどめをさすべく犬を引きずっている
この世のものとは思えない悲鳴が犬からもれる
やがて男は瀕死状態となった犬にまたがり、腹を天に向けさせ
注射器を取り出した
ペットボトルに入った青い色の液体を注射器に吸い上げた
そして犬の心臓めがけて一刺しし、一気に青い液体を注入した

そのわずか数分後、犬は物体と化していた
男はワイヤーごと犬を引きずり近くに停めてあった
軽トラの荷台にその物体を投げ入れた
その荷台には何十頭もの野良犬が物体となり重なっていた

白昼堂々、凄惨たる光景を目の当たりにし
軽い吐き気を催した

事情を聞いたところ、これら野良犬は病気を持っており
大変危険だということだった
さらにはこの暑さで頭がおかしくなり
突然、人間に噛み付き、噛まれた人は病気となり
大変な被害が出ているようだった

政府自体も定期的にこの野良犬の処分を施設において
しているらしいのだが、それでは追いつかず
村としての今日の行いにいたったようだった
それにしてもショッキングな光景だった
強者が弱者を追いやる光景は気持ちのいいものではなかった

電気が復帰したので録音を再開した
しばらくは平常心を取り戻せずにいた

18時すぎ、録音作業を終え
明日のスマンガリに対する贈り物のサリーの買出しに
でかける
村の商店に赴き、大量のサリーの購入を検討する
ところが私が以前記憶していた値段よりも高い
迷いが生じた

ラトラとグルジとともに、シルカリの大型衣服店に向かう
村の商店と同数のサリーを選び、値段の交渉に入った
最終的には村の商店とほぼ同じ値段となった
奇妙な違和感を覚えながら的確な判断が下せず
にいたが結局この大型店での購入を決意した

帰りの車中、グルジが私に話しかけた
「スワミ、村の商店主(女性)は夫もおらず、娘が二人います
娘は就学中で生活がとても苦しいのです
値段がほぼ同じならば、その村の商店で買うべきです」

そんな込み入った事情は知らなかった
「思わず、何故購入前か、シルカリに向かう車中で説明
してくれなかったのか?」
と問い返してしまった
当然、多少の金額の違いなら迷わず
その村の商店での購入を決意していた
さきほどの大型店はチェーン展開しており
私一人の客を逃したくらいでは何の影響もないのだ
しかし村の商店主にとっては、私がサリーを購入するかしないかは
生活に影響があることだろう

久しぶりの大失態だった
大きな後悔におそわれた
昼間の野良犬の殺戮を目にしたショックから
的確な判断を失っていたのだ

しばらく考えた結果、私が持参している電卓をあげることにした
実はたびたびその村の商店を訪れる中、その商店の電卓が
うまく機能していないことを知っていたからだ
数字を押しても液晶に表示されることがないような電卓だった
私の電卓をプレゼントし、「次回は必ず商店で購入することを約束する」
という私の意向をグルジに商店主へ伝えてくれるようお願いし
部屋に戻った

動揺を抑えきれない1日だった

 

2007年6月3日 シバサミーの館

昼過ぎよりスマンガリへのフリーミールを行なうため
近くの婚礼場に向かう
昨日、夕方から夜にかけて、ナディ二人がそれぞれに住む村人の中から
45人のスマンガリ(貧しい既婚の女性)を選び出し
クーポンをそれぞれに配っていた

これは13章の救済法のひとつであり、巡礼とともに
記されるものである
ときには学童へのフリーミール、ときにはスマンガリへのギフトと
フリーミールと記される

今回、前回、前々回の救済法のなかで
5人の方の13章にこの9人のスマンガリへのフリーミール
が記されていた
9×5で計45人のスマンガリにフリーミールを行なうこととなっていた

婚礼場に着くと、既にスマンガリたちは集まっていた
早速、2階へ行き準備に取り掛かる
長いすのうえに、サリーを並べ、バナナ、クムクム、化粧品、10ルピー
等、幸運の品々をおいていく

準備が出来たところで、一人ずつ、サリーセットとお弁当を手渡し
依頼者の写真に祝福をもらっていく
その際に、忘れないように昨日配ったクーポンをグルジが
受け取っていく

ところが徐々に会場が混乱しだした
ブラウスがサリーに付属していない・・・
クーポンを持っていない人が噂を聞きつけて
ただほど安いものはない・・・と駆けつけてきたり・・・
とそれぞれにテンションがあがりだした
やがてサリーとブラウスの色の組み合わせが気に入らないので
交換してくれ・・などなど

まあ、この混乱は毎回のことなので
ある程度私も慣れっこである
ナディたちと場の雰囲気を修正し、一人一人、サリーを配りながら
写真に祝福をもらっていった

スマンガリたちは自分のサリーの色が気に入ったとか
どうだとか和気藹々としている

スマンガリたちはそれぞれの家に帰っていった
ほんの一時でも彼女たちをうれしく楽しい気分に
させられたことは幸いである


スマンガリへの贈り物


スマンガリ


スマンガリ

その後、館に戻り、録音作業に没頭した

明日は TITTAI への巡礼である

 

2007年6月4日 シバサミーの館

約束の時間より、約1時間半遅れで宿を出発
ガネーシャの館へ向かう

猛暑のなか、数時間車に揺られようやく館に到着
懐かしい顔ぶれと再会する

ほとんど兄弟のように接しているナディとの検索である
ゆっくりと時間をかけながら丁寧に検索をするのが彼の特徴である
約2時間かけて、葉を特定した
ナディの質問の中で、最も印象に残った質問は
「彼は現在、フルスピリチュアルにトライしている?」
といったものだった

ガネーシャの葉の内容を見るのは私にとっても
とても楽しみである
内容が解きに実に濃いのだ


ペンから右に向かって名字が記されている

その後、数時間の空きがあったので
新しい携帯を街に探しに出た
前回、持参していたネット接続用インド携帯が
使用不能になり大損害を被ったからである
その携帯が使用不能となったためやむを得ず
日本から持ち込んだSOFTBANK3G携帯をネット接続に
使用していたのだが、日本に戻り請求書をみてびっくりした
約10万近い請求だった

だったら新たにインドで携帯を購入したほうがコスト削減になる

街中探し回り、ようやくネット接続に使用できるものを探し当てた
購入の手続きを済ませTITTAI に向かった


ホーマム


TITTAI のホーマムを執り行った僧侶

TITTAI では僧侶がホーマムの準備を整えて待っていた
このホーマムを取り計らってくれる僧侶はとても人が良い
前回も満足と充実感のある祈祷を行なってくれた
僧侶は私のことを記憶しており笑顔で迎えてくれた

今回の依頼での最後の最後となる祈祷である
一番最後に誠実な僧侶にホーマムを行なってもらえるのは
とても幸運であった
依頼者に想いを向けるとともに今回の依頼者全てに対しての
幸せを願った

祈祷は約2時間にわたって続いた
僧侶の愛情を持って装飾された木星神は
見事なバイブレーションを放っていた

祈祷を終えた頃には美しい月夜となっていた

携帯屋を再び訪れ、ノートパソコンに携帯を接続させて
ネット接続させた
ようやく安定したネット接続を確保することができた

ホテルの部屋に戻れたのは朝2時だった

2007年6月5日 シバサミーの館〜チェンナイ

午前中、予定していた翻訳の録音作業が
ナディの急病のため、中断となった
パソコンを立ち上げ、英訳の文書で受け取った
翻訳をメールに添付して送信する作業に没頭した
あっという間に昼間になってしまった

今日は日本から3人チェンナイに降りたつ予定のため
チェンナイまで行かねばならない
片道6時間の道のりである
昼過ぎに宿を出発し、途中ポンディに立ち寄った
村にはない、きれいなレストランに立ち寄り
きんきんに冷えたビールをのどに流し込みサンドイッチをほおばった
久しぶりのまともな食事のような気がする

車に乗り込んだ後、ビールが効いたのか死んだように
眠ってしまい、気がつけばあたりは真っ暗だった
いつのまにかチェンナイ市内に突入していたようだった

20時には空港に着き、日本から来る1,2,3号を待った
21時過ぎに彼らをピックアップし市内のホテルに向かった

 

2007年6月6日 チェンナイーポンディーシバサミーの館

8時にホテルで朝食を取り
9時過ぎにホテルを出発
長旅の疲れのせいか3号の体調が優れないようなので
道すがらにある5ツ星ホテルのコーヒーショップで休憩することにする
それにしてもインドとは思えない豪華なホテルだ
海に面しており、雰囲気も申し分ない
しかしながら宿泊費はべらぼうに高い

再出発しポンディに向かう
ポンディでは最後の食事をサトサンガでとってもらう
なぜなら、2,3号は明日アートマ・シャンティ・プージャを
行なうためである
今晩の食事と明日の朝食は抜いて体を清めていなければならないからだ
それにしてもサトサンガでの食事は最高だった

シバサミーの館のある村の宿に着いたのは20時だった
2,3号さんにとって明日は念願の日である

 

2007年6月7日 シバサミーの館 NEW!!

この日は私にとっては今回3回目のアートマシャンティプージャである
霊感体質の1号は今はなき魂に乗り移られる可能性もあるため
部屋から祈りを向けることとなった
くわえてこの地域は津波の影響で大勢の方が命を失っている
これらの2点から1号は部屋で待機となった

2号さんにとっては念願のアートマシャンティプージャであった
2号サンの祖父のアートマビシャラナとアートマシャンティカンダムを
開いたのは約2年半前である

その中にはなるべく葉を依頼した人自身がこの祈祷に立ち会ったほうがよい
との示唆がなされていた
くわえてこのアートマシャンティを適切に実行しないならば
亡き魂の末裔・子孫が頭部の疾患に悩まされるであろうとの
警告とも取れる微妙な表現が記されていた

実際に2号さんの母親は頭部の疾患に現在も悩まされている
実は2号さんの祖父の遺骨は死後30年経った現在もお墓に納骨されていない
2号サンの父親とその兄弟間の宗教上の思想の違いから
お墓はあるものの納骨されずに、2号サンの父親の兄弟の自宅の中で
安置されているとのことだった

葉の内容やこの複雑な状況を知る上でなるべく早くアートマシャンティプージャを
行なうべきだったのだが、タイミングのずれや様々な状況から
祈祷は葉を開いてからの2年間、今日まで実現することは無かった

約2ヶ月前、インド・マレーシアを経て一時帰国していた私は
妻を連れてかかりつけの医者を訪れるため車を走らせていた
その車中、私と妻は
「誰か5・6月にインドに行く人はいないかなー」
と何気ない会話を交わしていた
そういいながらも心に思い浮かべていたのは2号さんだった

多くの葉の内容を見てきた経験から2号サンこそ
アートマシャンティプージャを行なわなければまずい・・と
以前から危機感を抱いていた
しかし現実化されることは無く時は流れていた

かかりつけの医者の医院につき
妻を送りだし、私自身は車で待っていた

その後、妻が興奮を隠しきれない様子で車に戻ってきた
偶然医院の中で2号サンに会った・・ということだった
見えない世界からの導きを感じ取り、2号さんを車で家まで
送り、食事をともにした

ようやく2号さんのアートマシャンティプージャのチャンス・機会が
訪れたようだった
早速、インドに携帯で国際電話で連絡をいれ
アートマシャンティプージャに適した日にちを導き出してもらう
それを2号さんに伝えた

金銭的な事柄、日程、どれもが問題が無かった
幼い頃に祖父を失った2号サンは、なにか祖父のためにしたい
と真摯な想いを持ち続けていた
ようやくそのタイミングが訪れたのである

そして今日を迎えたのである
2号サンは息子をインドに連れてきていた
これは1号の提案であった
通常このアートマシャンティプージャは男子の親族が
立ち会うほうがよいとされている
そこらへんを感覚的にくみとっていたのだろう

結果的に僧侶の指示で2号サンは祈祷を見守り
息子である3号が実際に祈祷に参加することとなった
私は記録係、そして3号さんの手助けをすることとなった

祈祷はいつもの海辺の場所で穏やかに始まった
2号さんが少し離れた場所で見守り、3号さんが
僧侶の手ほどきを受けながら祈祷は進んでいった

祈祷の最中、私は首筋に武者震いを感じ
亡き魂が訪れている気配を感じた
今日は私は記録係の役目なのであわてて
その感覚を遮断し、直系の親族のほうにいってもらうよう
祈りを向けた

祈祷はいつものように流れるように進行していった
僧侶がシバ神に捧げる歌を独唱した
2号サンの目からは涙があふれていた

祈祷は2時間ほどで幕を閉じた
最後には2,3号さんはベンガル湾で沐浴し
亡き魂に祈りを捧げ、息子、母親、その両親、そして2号サンの祖父
4代にわたる供養・祈祷が完結した


アートマ・シャンティ・プージャ再び

午後は館に移動し翻訳の録音作業を行なった
途中、大雨が降りだし停電にも見舞われた

翻訳には2号サンの母親の5,12章の録音も
2号さん同席のもと、行なわれた
2号さんの母親の1章は約1年前に開かれていた
その当時、2号さんの母親は健康上危うい状態であった
葉の示唆では、惑星が〜〜に移動した後
2号サンの母親が生命の危機を脱しているならば
更なる追加の章を参照すればよいだろう・・・とのことであった

その後、2号さんの母親は生命の危機を脱し
健康を改善させていた
なので、葉の指定どおり今回5、12章を開くことができたのである

12章の中では2号サンの母親は来世シンガポールに転生することになっていた

そのとなりの部屋では1号さんが私の願いを聞き入れ
私の娘の葉の検索を行っていた
2号サンの翻訳を終え、私自身の娘の葉の検索にかけつける
実は以前、娘自身、私と妻と直接葉の検索をシバサミーの支店で
行っていたのだがそのときは葉は発見されることはなかった

娘はそのときの体験が悔しかったのかどうかは定かではないが
今回探してきて欲しいと希望していた

約1時間ほどで娘の葉は特定された
そのときは気恥ずかしいような複雑な気持ちであった
翻訳が楽しみである

とても身近な人の検索

○○ おかだ 、 かいと あきもと のりきと 、けいこ おかだ 、てんげい おうぐう 
と記された葉

 

2007年6月8日 シバサミーの館

午前中、6月6日に合流した日本人チームから手渡された
最後の新規検索を行う
検索を行っている間、となりの日本人1号にパソコンを託し
メールのチェックを行なってもらう
すると、たった今検索を行なっている依頼者から
メールがあり
「 田植え作業を行ないながら葉が見つかることを
祈っています」
との連絡があった
ほほえましい気持ちのまま検索を続けた
それからまもなくして、ナディが依頼者の名、名字、父親、母親の名
配偶者の名を1枚の葉の中から読み上げた
感動の瞬間であった

昼過ぎ、村にある近くの婚礼場に向かう
2007年3月、5月分依頼者の学童へのフリーミールを行なうためである
葉に指定された人数を足していくと425人となってしまった
かなりの規模である

婚礼場を貸切り、近くの小学校から450人の学童を招いた
現在は退職しているその学校の名物校長とも懐かしい再会を果たした
食事は村の食堂から450人分のものをケータリングで持ってきてもらった

子供たちは婚礼場の一階で待機しており
2階が食事を振舞う場所となっていた
机の上にバナナの葉を並べていき、ライス、サンバル、付け合せ
ヴァーダイ、アッパラムと配っていく
子供たちの人数が多いため、館からナディの応援
そして日本人1号、2号、3号の協力の下、フリーミール
を進めていった

子供達からのおかわりの注文に翻弄され
皆汗まみれになりながらも楽しい雰囲気で
フリーミールは行なわれた

1セットに150人の子供たちに対するフリーミールを
3順行なった
そして食事を終え、手を洗い終わった子供たちに鉛筆を
お土産に手渡していった



12時半より、最大規模450人へのフリーミールを行なう


ナディ、お気に入りの美少女

子供たちへのフリーミールが終わりかける頃、
高校生くらいの男女18人の学生がやってきた
彼らもまた、ナディが探してきてくれたのだが
彼らには食事を振舞うとともに制服のプレゼントを行なう
子供たちの中でも貧しい環境や厳しい家庭環境にある
者を探してきてくれたようだ
これもまた13章に記載される救済法のひとつである

食事を振る舞い、一人ひとりにプレゼントの制服を渡し
記念撮影をさせてもらった


9人の学童への制服の贈り物


9人の学童への制服の贈り物
(写っているのは8人だがのちほど、一人遅れて現れました)

フリーミールのすべての作業を終え、子供たちと同じものを
みんなで食べ婚礼場をあとにした
皆、それぞれに疲労困憊していた

夜、21時、部屋でナディから完成した護符を受け取り
この日の仕事を終了した

 

6月9日 シバサミーの館

シバサミーの館を離れる前日である
午前中、録音作業に没頭する

昼食ははじめて訪れるナディの家ですることとなった
ナディの奥さんのお手製のチキンカレーは絶品だった

これから毎日かわるがわるナディの家でナディの奥さんの
カレーを日替わりで頂こうかな、とひそかに計画してしまうほど
美味であった
しかし若い3号にとっては少々辛過ぎたようで大粒の汗をほとばしらせていた

午後は2号サンのジェネラルカンダムの検索を行い
葉を特定した

その後、娘の葉の翻訳録音作業を検索した
ナディの解説付きで行なった
これはとても興味深い内容だった
そのなかのひとつに娘は弟に対して非常にそっけないのだが
弟はその冷酷な態度にも関わらず姉(娘)に対して愛情を注ぎ続ける・・
というものがあった
これにはとても驚いた
これは兄弟間の特性を見事に表現した一文であった

その後、2号さんの1章の翻訳を行なった
機会があれば、いつでも障害者に対するフリーミールを行なえばよいだろう・・
との示唆が出ていた

これにはまた見えない世界の導きを感じることとなった
実は今夜、障害者へのフリーミールを是非体験してもらおうと
考えており、施設へ前もって連絡を入れていたのだ
その霊妙さに感謝し、夜7時過ぎ、
1,2,3号とともに 障害者の施設へフリーミールへ赴いた

 




少年ジェミニ

その後、施設の近くの町、マイラールドライで翻訳者マニ
と食事を共にする機会を設けた
ナディ数人も同席していた

食事の中で、3号の開いたプラシュナ・カンダムの解説や
サッチャ・ローカの話
今まで聞いたこともない種類の葉の話などがでて
時が経つのを忘れ話に没頭してしまった
気がつけば3号さんはあくびをしていた

またこのような機会を設けることを約束し別れを告げた

 

6月10日 シバサミーの館〜ポンディッチェリー

朝から大忙しだった
小冊子を受け取り、支払いの清算や計算を
行いナディギフトを行なった


ナディ・ギフトのひとこま

朝10時には館を離れる予定だったのだが
いつもどおり思ったようにはいかず
すべての仕事を終え、別れの挨拶をし
館を離れたのは12時過ぎであった

今回は館を離れるまでにすべての翻訳を受け取ることが出来た
もしかしたらはじめてかもしれない

 


さらば、VAITHISWARANKOIL シバサミーの館

ようやく若干の休憩時間である
ぴんぴんに張り詰めた糸が切れるかのようであった
ポンディに向かうタクシーの中で放心していた

はじめて泊まるポンディのホテルに到着したのは16時近くだった
1号がガイドブックをみて、ここがいいんじゃない・・・
とつぶやいたホテルだった

これがどんぴしゃで良いホテルだった
1号さんはいいものを探し出す能力にとても長けている
快適な滞在が予想された

2,3号さんにアーユルヴェーダのマッサージを
体験してもらうためその施設に向かった
私はその後、ホテルにとんぼ帰りし、現金を引き出し
館のマネージャーに支払いをした

夜は皆で村にはないおしゃれなレストランで
祈祷の成功などに祝杯をあげた
聞けば2ごうサンは背中にこぶがずっとできていたのだ
そうだが祈祷後、そのこぶは消えてしまったのだそうだ
ふしぎなものだ

疲労困憊しきった体にビールが効き過ぎたのか
その後、正体不明となってしまった
いつのまにか素っ裸で部屋で寝ていた

 

2007年6月11日 ポンディッチェリー

午前中、2、3号は再びアーユルヴェーダ・マッサージへ
昨日のマッサージとは異なるシロダラを体験してもらう
その後、若い3号に スクーターの乗り方を教育した

わずか13歳の3号には刺激的な体験であったことだろう
その後、私は1号、3号は母親である2号をスクーターのけつにのせ
ポンディの街中を爆走することとなった
私にとっては何にも代えがたい快感のひと時であった

15時ごろ、オーロヴィルのプライベートビーチ・レポスでひと時を過ごした
3号はベンガル湾とたわむれ、2号はそれを見守っている
私は1号と砂浜に座りぼーっとしていた
そのうちあたりが騒がしくなり出した
どうやら海で泳いでいた若い白人女性に対して
現地の若い青年が海の中で痴漢行為を働いたようだった

やがて痴漢を犯した青年はプライベートビーチのガードマンにつかまり
白人女性に何度も謝り、その後、ガードマンに何度も往復びんたを食らっていた
今まではオーロヴィル内ではこのような光景を目にしたことがなかった
巫女のような能力を持つ、1号に目の前で起きている出来事は
どのような意味合いを持つのか?と聞いてみると
「オーロヴィルが継承してきた理念・思想が伝わりにくくなってきており
薄れており、その乱れた調和の象徴が現象として目の前に現れているのだ。
その証拠にこれまでオーロヴィルを訪れた際に
このような光景には遭遇していないはずだ」
といわれた
納得せざるを得ない回答であった

数分会話を交わしたオーロビりアンも過去には
こうした事柄は無かった
一体最近はどうなってしまっただろうと嘆いていた

日が落ちる頃、貴金属街でショッピングをし
ホテル近くのレストランで食事を取った
私自身はビールを喰らい、再び正体不明に陥った
気がつけばホテルの部屋の床の上に倒れていた

 

2007年6月12日 ポンディッチェリー〜チェンナイ〜
マレーシア・クアラルンプール

5時半起床
1号とともに アーユルベーダマッサージに向かう
この時刻、海岸線ではプラーナヤーマ、ヨガ、ウオーキング
ジョギング、瞑想と様々な光景を目に出来とてもおもしろい

私は全身マッサージとシロダラを受けた
シロダラが始まった瞬間、深い眠りに落ちてしまった
本当にその30分の間、シロダラを続けてくれていたのか
放置されていたのかは定かではない
いつのまにか体をゆすられ終わりました・・と告げられた

この全身マッサージは体を対角線上にオイルでさするようにして行なわれる
指圧のようにつぼを押されるわけではないので
私自身本当に効果があるのかどうかがわからない

その後、1号に
「ほんまにこんなマッサージ効果があるんかい?」
と聞くと見えない世界に対して意識を集中させ
「アーユルヴェーダは神経に効くのだ
その証拠にこのマッサージを受けてからしばらくは
怒りっぽくならないはずだ」
と指摘された
うーん、確かにそうだな、といわざるをえなかった
私はかなり怒りっぽい
過去、このマッサージを受けた後はご機嫌でいることが多い

ホテルに戻り2,3号と食事を取り
オーロビンド&マザーのサマディ(墓)アシュラムに向かう
この場所はすべての人に開放されている
この場所では大きな大理石の棺のなかに
オーロビンドとマザーが眠っている
謁見に訪れた人々は棺に跪き額をつけ祈るのである
そして各々その棺の周りにすわり、穏やかに瞑想するのである

勘のにぶい私でもこの場所では棺から放たれる
霊妙な空気を感じ取ることが出来る
しばらくは私も腰を落ち着けその空気を味わっていた

ここでも1号はオーロビンドからメッセージを受け取っていた
それによればこれから多くの人をばこの場所につれてくるように
なるであろう・・・とのことだった


ホテルにいた美少女とその母親

荷物をまとめチェックアウトし美少女に次回はお土産を
持ってくることを約束しチェンナイへ向かった

マレーシア・エアのオフィスに立ち寄り
チケット日付変更シールを貼ってもらい
今夜の出国に備えた

夕食をなじみの店でとった
日本からのおみやげにマスターも大喜びだった
3号は食事が口に合うのか黙々と食べ続けていた

22時発のマレーシア行きに飛び乗りインドを離れた
今回もまた霊的な流れを多く感じる訪れであった

 

2007年6月13、14、15、16、17、18、19日 
マレーシア  クアラルンプール

2007年6月13、14、15、16、17、18、19日 
マレーシア クアラルンプール

13日
朝4時KLに到着
6時KLの常宿に到着
なじみのバトラーの段取りで素晴らしい部屋が用意されていた
我が家に戻ってきたかのように落ち着く宿である
気がつけば昼まで寝ていた

午後は明日の大事な1日に備え
準備を整えた

14日
9時半、いつものように友人が車で忙しい時間を縫い
迎えに来てくれた

スーツ屋の友人の車に乗り込み、不思議な漢方屋に向かう
この不思議な漢方屋に診療してもらい、
漢方薬を処方してもらうには予約が必要である

マレーシアに入国するまえに、1.2.3号そして
直接はマレーシアに来れないが漢方薬を必要している方の写真を
たずさえて漢方屋を訪れた

漢方屋の前の歩道では屋台が立ち並んでいる
あいかわらず湿度が高くシャツが体にまとわりつく

さすがに何度か通いなれたせいか、漢方屋の主人は快く迎え入れてくれた
予約を入れて漢方医を待っている人とともにいすに座り順番を待つ

先生がかばんを左手に持ち現れた
あいかわらず厳格な空気が漂っている
うかつに冗談等は言えないような凛とした空気だ
店の奥に小さな部屋がしつらえてあり、そこがこの漢方医の診療場所となる
彼に相対するときには、緊張は否が応でも高まる
決して穏やかな話しぶりではない
無口であるし、ときには突然予期せず皮肉を口にする・・、と思えば症状に関して
親切に解説をしてくれる

30分ほど待ったであろうか、我々の順番がまわってきた
通訳を手伝ってくれるスーツ屋の友人と私、
そして2.3号さんとともに診療室に入る

2号さんの順番である
いつもと同様に漢字で名前と生年月日を書き漢方医の正面に座る
漢方医が「立ちなさい」といい彼女をいすのうしろに立たせ
鋭い眼差しで2号さんの体をスキャンしていく
「結婚してるのか?子供は?」
「はい。」と2号さん

そして問題となる点を漢字でメモに記しみせてくれた
彼女はとくに婦人科系に問題があったようで、このまま
気づかずにいれば深刻な問題になっていたことが指摘された
これは霊能者1号が指摘していたことと同じだった
霊能者1号は2号さんに検査を薦めていたようだ
西洋医学的には病名が申告される一歩手前の状態であったらしいが
漢方医の見解では気づかずにいれば危ない状態だったという

そして漢方医は我々には読めない漢文で
漢方の処方箋を書き終えた
「あなたは働いているのか・」
「いいえ、主婦です」
「それはラッキーだ。もし仕事をしていればストレスがかかり
もっと状態は悪化していただろう。
以前に医者に診てもらったことはあるのか?
あなたの症状は2−3年かけてこの状態になっている」
と漢方医はため息をもらした
「あなたはラッキーだ。
これらの症状は進めば癌に冒されていた危険性もあった
しばらく漢方薬を飲み続ければいいだろう
もしあなた(2号さん)が来れないなら、彼(私)が代わりに来ればいい」

その次に2号さんは彼女の夫の写真を差し出した
それを目にした漢方医は
「彼はまだ大丈夫だ、今は必要ではない。3ヵ月後でいい。」
と写真を見て、押し戻した。

2号さんは次に彼女の母親の写真を差し出し
漢方薬の処方箋をもらった

とにかく2号さんは早期発見でよかったようだ
このままほうっておけば取り返しのつかない状態に
なっていたらしい

2号さんの家族・親族の診察が終わり、私はいよいよと写真をとりだした
彼女はまだ小さな子供でそのためマレーシアを直接訪れることは難しい
そのため写真を用いての診察である
日本で写真を依頼者より預かるとき、私はこの子のその時点での危惧されている
症状を依頼者より聞いていた

漢方医は慎重に頭のてっぺんからゆっくりと彼の右手を写真にかざしていった
そして「今、彼女は○○○なのだね」と一言つぶやいた
それはまさにその子の両親が最も心配している部分であった
それを耳にしたとき素直に「この人の診断はすごいなー」
と感心してしまうのであった
とても厳しい人柄ではあるのだが、その見解はとても信用のおけるものだと
納得してしまうのである

漢方医はそれをいうなり、処方箋を書き始めた
「日本、中国、インドネシアにはこのような症状を持つ子供が多くいる。
とくに日本には多い。それはインスタント食品、添加物、化学調味料が含まれる食品を摂取しすぎるからだ」

次に私の娘の写真を差し出した
それを見るなり「頑固で言うことを聞かない子供だ。
冷たいものを摂ってはだめだ。
偏食の傾向も改めなくてはならない」
と指摘した
実は2007年4月に娘の春休みを利用して直接漢方医に
看てもらったのだが実に興味深い診断だった

まず彼女をいすの後ろに立たせて彼女の体を鋭い眼光でスキャンし
心臓の問題を指摘した
もちろん事前に彼女の心臓の問題に関しては告げていなかったので
その的確な指摘には舌を巻いた
しかしもっと驚いたのは西洋医学的な見解とは
少し異なっていた点である
レントゲンや超音波でみる限りあきらかな症状があるのだが
漢方医はそことは別の箇所、心臓の弁の問題を指摘した
超音波でみられる箇所ももちろん問題なのだが
弁のほうがより問題としては深刻であることを指摘した
これは私としては予想外の指摘だった
西洋医学的な見解ではそのような指摘はなかったからだ

そのうえで冷たい飲み物等をとらないことを勧められた
そして彼女のとても利口な面や頑固で聞かない性格をも指摘した
漢方を適切に飲み続ければ、手術の必要なく治るよ・・
とのアドバイスも得た

彼の出す見解や指摘は西洋医学的なもの、または通常の医者とは
異なったものかもしれない
しかし感覚的にはとても納得のいく診断であり処方である

再び訪れることを約束し、漢方薬を受け取りその場をあとにした

幸運なのは困った人がいるならば、あなたが彼らに代わって
漢方をとりに来ればいい・・との了承!?を得たことだった

私はこの漢方医の霊的な診断をとても信用している
それは以前に私が健康的に危機的な状況にあったとき
この漢方医の処方する漢方により救われたからである。

 

過去にインドのホテルの風呂場で足を滑らせ、後頭部を強打しわずかなあいだ気を失ったことがあった。
その後、1年間くらいはなんともなかったのだが、あるときからそのときの後遺症なのか極度の健忘や左脳の膨脹感、右手や背中のしびれに悩まされはじめたのである。
健忘が原因で妻と衝突することもしばしばだった。
どんなに覚えていようと意識をしてもいとも簡単に忘れてしまうのだ。

その症状に悩まされていたとき、この漢方医の処方する漢方を飲んだのだ。
これは私にとって劇的な変化をもたらし、著しく改善を得たのである。

しかし特筆すべきは、数年前に取得した私のガネーシャの葉の1章において、
記憶力の欠如により問題にさらされる・・・との指摘がなされていたことである。
当時は冗談かいな・・と受け流していたが、やがてそのことを身にしみて実感することとなった。

このマレーシアの漢方医もおそらく漢方医の中ではアウトロー的な存在なのだろうが
私にとっては恩人である。

 

この日の午後は重要な調べ物があり
ネットを利用しての調査に没頭した

 

15,16日 

2,3号さんはマレーシアよりバスでシンガポールへ行くこととなった
2号さんは彼女の母親のシバの葉の12章で記された転生の地シンガポールを訪れるのである。

2号さんの母親は現在病を抱えており、彼女の葉においては生命の危機に直面する時期も指摘されている
そして他界後、シンガポールに転生することが記されていた

2号さんは今回インドにて自らの母親の5、12章を調べたのである
ちなみに以前、私自身が代行で2号さんの母親の1章を探し出したのだが
そのときにも1章に生命の危機の時期が記されており、その危機を乗り越えられれば
さらに追加の章を探してもよい・・とのことが葉に記さていた
彼女は指摘された時期の危機を乗り越えていた。
そして2号さんは今回インドで自らの母親の追加の章である5、12章の翻訳を直接ナディから聞いたのである

2号さんはシンガポールを訪れたことがないため、マレーシアの隣国であるシンガポールへの訪問を切望した

霊能者1号はネットを利用してシンガポールのホテルの部屋の予約に奔走したのだが
なかなか条件に見合うホテルが見つからなかった

しかし14日の夕刻、ようやく条件に見合うホテルが1室だけ見つかったのである。
ホテルの料金が高すぎる、目的とする場所にはホテルからは遠すぎる等、条件に見合った場所がなかなか見つからなかった。
結局、私や1号さんの分の部屋は空いていなかったため、2・3号さんだけをシンガポールに送り込むこととなった。

その後、バスの手配等で忙殺された。

15日の午後、バスターミナルまで2・3号産を送り、彼らはシンガポールへと高速バスで旅立った
彼らにとっての「深い河」が始まるのだ
{映画「深い河」では、妻を病気で亡くした夫が、妻がインドに転生した・・との情報を得て、妻の生まれ変わりをインドに捜しに行くのである}

15日の夜、2・3号さんはシンガポールに降り立った。
16日、シンガポールを見て回り、自らの母親が転生する場所を体感し、母を想い、彼女は涙したのであった。
「これほどきれいないい国に生まれ変わるならば、母親もきっと幸せであろう」
と彼女は母親を想ったのである。

 

17日

2,3号さんは様々な霊的な経験を得て帰国した

18日
COMING SOON
帰国便が19日である私と霊能者1号は、骨董屋で観音像に話しかけられる

遅れていました日記の更新です
2007年6月13、14、15、16、17、18、19日 
マレーシア クアラルンプール

13日
朝4時KLに到着
6時KLの常宿に到着
なじみのバトラーの段取りで素晴らしい部屋が用意されていた
我が家に戻ってきたかのように落ち着く宿である
気がつけば昼まで寝ていた

午後は明日の大事な1日に備え
準備を整えた

14日
9時半、いつものように友人が車で忙しい時間を縫い
迎えに来てくれた

スーツ屋の友人の車に乗り込み、不思議な漢方屋に向かう
この不思議な漢方屋に診療してもらい、
漢方薬を処方してもらうには予約が必要である

マレーシアに入国するまえに、1.2.3号そして
直接はマレーシアに来れないが漢方薬を必要している方の写真を
たずさえて漢方屋を訪れた

漢方屋の前の歩道では屋台が立ち並んでいる
あいかわらず湿度が高くシャツが体にまとわりつく

さすがに何度か通いなれたせいか、漢方屋の主人は快く迎え入れてくれた
予約を入れて漢方医を待っている人とともにいすに座り順番を待つ

先生がかばんを左手に持ち現れた
あいかわらず厳格な空気が漂っている
うかつに冗談等は言えないような凛とした空気だ
店の奥に小さな部屋がしつらえてあり、そこがこの漢方医の診療場所となる
彼に相対するときには、緊張は否が応でも高まる
決して穏やかな話しぶりではない
無口であるし、ときには突然予期せず皮肉を口にする・・、と思えば症状に関して
親切に解説をしてくれる

30分ほど待ったであろうか、我々の順番がまわってきた
通訳を手伝ってくれるスーツ屋の友人と私、
そして2.3号さんとともに診療室に入る

2号さんの順番である
いつもと同様に漢字で名前と生年月日を書き漢方医の正面に座る
漢方医が「立ちなさい」といい彼女をいすのうしろに立たせ
鋭い眼差しで2号さんの体をスキャンしていく
「結婚してるのか?子供は?」
「はい。」と2号さん

そして問題となる点を漢字でメモに記しみせてくれた
彼女はとくに婦人科系に問題があったようで、このまま
気づかずにいれば深刻な問題になっていたことが指摘された
これは霊能者1号が指摘していたことと同じだった
霊能者1号は2号さんに検査を薦めていたようだ
西洋医学的には病名が申告される一歩手前の状態であったらしいが
漢方医の見解では気づかずにいれば危ない状態だったという

そして漢方医は我々には読めない漢文で
漢方の処方箋を書き終えた
「あなたは働いているのか・」
「いいえ、主婦です」
「それはラッキーだ。もし仕事をしていればストレスがかかり
もっと状態は悪化していただろう。
以前に医者に診てもらったことはあるのか?
あなたの症状は2−3年かけてこの状態になっている」
と漢方医はため息をもらした
「あなたはラッキーだ。
これらの症状は進めば癌に冒されていた危険性もあった
しばらく漢方薬を飲み続ければいいだろう
もしあなた(2号さん)が来れないなら、彼(私)が代わりに来ればいい」

その次に2号さんは彼女の夫の写真を差し出した
それを目にした漢方医は
「彼はまだ大丈夫だ、今は必要ではない。3ヵ月後でいい。」
と写真を見て、押し戻した。

2号さんは次に彼女の母親の写真を差し出し
漢方薬の処方箋をもらった

とにかく2号さんは早期発見でよかったようだ
このままほうっておけば取り返しのつかない状態に
なっていたらしい

2号さんの家族・親族の診察が終わり、私はいよいよと写真をとりだした
彼女はまだ小さな子供でそのためマレーシアを直接訪れることは難しい
そのため写真を用いての診察である
日本で写真を依頼者より預かるとき、私はこの子のその時点での危惧されている
症状を依頼者より聞いていた

漢方医は慎重に頭のてっぺんからゆっくりと彼の右手を写真にかざしていった
そして「今、彼女は○○○なのだね」と一言つぶやいた
それはまさにその子の両親が最も心配している部分であった
それを耳にしたとき素直に「この人の診断はすごいなー」
と感心してしまうのであった
とても厳しい人柄ではあるのだが、その見解はとても信用のおけるものだと
納得してしまうのである

漢方医はそれをいうなり、処方箋を書き始めた
「日本、中国、インドネシアにはこのような症状を持つ子供が多くいる。
とくに日本には多い。それはインスタント食品、添加物、化学調味料が含まれる食品を摂取しすぎるからだ」

次に私の娘の写真を差し出した
それを見るなり「頑固で言うことを聞かない子供だ。
冷たいものを摂ってはだめだ。
偏食の傾向も改めなくてはならない」
と指摘した
実は2007年4月に娘の春休みを利用して直接漢方医に
看てもらったのだが実に興味深い診断だった

まず彼女をいすの後ろに立たせて彼女の体を鋭い眼光でスキャンし
心臓の問題を指摘した
もちろん事前に彼女の心臓の問題に関しては告げていなかったので
その的確な指摘には舌を巻いた
しかしもっと驚いたのは西洋医学的な見解とは
少し異なっていた点である
レントゲンや超音波でみる限りあきらかな症状があるのだが
漢方医はそことは別の箇所、心臓の弁の問題を指摘した
超音波でみられる箇所ももちろん問題なのだが
弁のほうがより問題としては深刻であることを指摘した
これは私としては予想外の指摘だった
西洋医学的な見解ではそのような指摘はなかったからだ

そのうえで冷たい飲み物等をとらないことを勧められた
そして彼女のとても利口な面や頑固で聞かない性格をも指摘した
漢方を適切に飲み続ければ、手術の必要なく治るよ・・
とのアドバイスも得た

彼の出す見解や指摘は西洋医学的なもの、または通常の医者とは
異なったものかもしれない
しかし感覚的にはとても納得のいく診断であり処方である

再び訪れることを約束し、漢方薬を受け取りその場をあとにした


写真は1人分 

幸運なのは困った人がいるならば、あなたが彼らに代わって
漢方をとりに来ればいい・・との了承!?を得たことだった

私はこの漢方医の霊的な診断をとても信用している
それは以前に私が健康的に危機的な状況にあったとき
この漢方医の処方する漢方により救われたからである。

 

過去にインドのホテルの風呂場で足を滑らせ、後頭部を強打しわずかなあいだ気を失ったことがあった。
その後、1年間くらいはなんともなかったのだが、あるときからそのときの後遺症なのか極度の健忘や左脳の膨脹感、右手や背中のしびれに悩まされはじめたのである。
健忘が原因で妻と衝突することもしばしばだった。
どんなに覚えていようと意識をしてもいとも簡単に忘れてしまうのだ。

その症状に悩まされていたとき、この漢方医の処方する漢方を飲んだのだ。
これは私にとって劇的な変化をもたらし、著しく改善を得たのである。

しかし特筆すべきは、数年前に取得した私のガネーシャの葉の1章において、
記憶力の欠如により問題にさらされる・・・との指摘がなされていたことである。
当時は冗談かいな・・と受け流していたが、やがてそのことを身にしみて実感することとなった。

このマレーシアの漢方医もおそらく漢方医の中ではアウトロー的な存在なのだろうが
私にとっては恩人である。

 

この日の午後は重要な調べ物があり
ネットを利用しての調査に没頭した

 

15,16日 

2,3号さんはマレーシアよりバスでシンガポールへ行くこととなった
2号さんは彼女の母親のシバの葉の12章で記された転生の地シンガポールを訪れるのである。

2号さんの母親は現在病を抱えており、彼女の葉においては生命の危機に直面する時期も指摘されている
そして他界後、シンガポールに転生することが記されていた

2号さんは今回インドにて自らの母親の5、12章を調べたのである
ちなみに以前、私自身が代行で2号さんの母親の1章を探し出したのだが
そのときにも1章に生命の危機の時期が記されており、その危機を乗り越えられれば
さらに追加の章を