page 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
第34日 2002年2月16日 快晴 プッタパルティー
4時起床、少しずつではあるが体力、体調は回復
に向かっている
ダルシャンに向かう
並んだ列の先頭の人の籤運がよくダルシャンホール
に入り2列目を確保する
私は春さんのすぐ後ろの3列目だ
左前方のほうにスーツを着た青山さんの姿がある
昨日、春さんから聞かされたように
本当にスーツを着てネクタイをしめている
「何故、スーツなのですか?」
という春さんの問いに対し青山さんは
「少しでも目立つと思って・・・」
と答えたらしい
この話を昨日聞かされた私はなおさら青山さんの
ことが好きになってしまった
その冗談とも本気ともとれる返答にとても
魅力を感じた
これだけ多くの人がいる中でスーツを着ているのは
確かに青山さん一人だけである
その意味においては確かに目立っている
滅茶苦茶チャーミングな人だ
6時10分スピーカーから流れ出る音楽とともに
その人は現れた
徐々にこちらのほうへ近づいてくる
ゆっくりとした足取りで我々の目の前を
通過しようとした
その時、春さんが動いた
「インタビュー プリーズ」
その声にサイババは反応した
「シー シー (わかっている わかっている)」
ちらっと春さんと目線をかわしつつ
我々の前を通り過ぎた
すごい迫力であった
春さんの真後ろでことの成り行き
を見ていた私はもろに衝撃を受けた
その会話うんぬんではない
ちらっとこちらを見たときの目線に
影響を受けたのだ
何かが体の奥深く細胞の一つ一つ
まで浸透していくかのような目だった
自分の体の中に明らかな変化を起こさせる
ようなその目は異様とも思えるほどのものだった
自分の魂を射ぬかれたかのような感覚だった
はじめて体感した感覚だった
ダルシャンが終わりアシュラム内の食堂へ
西洋式の朝食を採りに行く
春さんと私が朝食を採っていると
青山さんたちも朝食をとりに食堂にやってきた
我々を見つけた青山さん達が一緒にどうかと
誘ってくれた
テーブルをともにすることとなった
私は青山さんの正面に座った
私は何者かと話しを振られたので
緊張しながらも自己紹介を始めた
「私は俳優で7年前に遠藤周作氏の小説
を映画化した深い河でデビューしました
始めはプロデューサーから振られた役が
インドに来た日本人旅行者をガイドする
日本人の役だったのでその役作りのため
インド関連の書物を数多く読み勉強しました
それとともにサイババがマスコミに注目
されだしたこともありいくつかのサイババに関する
書物も読みました
サイババセンターというものが当時、目黒
にあることを知り役のリサーチのため
そこへ出かけました
センター内に通され一人の女性が応対をしてくれました
その女性も演劇をしていた経験があるとのことでした
わたしはその日、訪問をした理由を彼女に話しました
その最中のことでした
私は急に経験したことのない空気に取り囲まれました
それは素晴らしい雰囲気でした
言葉でいえば至福のエネルギーといった
ものでしょうか
時間にすれば3秒ほどの経験だったと思います
とにかくはじめての体験だったので多少動揺しました
話を聞いてくれているその女性もその空気を
感じているのかと思い彼女の表情を見ましたが
そんなことは感じていないようでした
私はその空気はどこから来ているのだろうかと
あたりを見回しました
その瞬間あるものが目に留まりました
サイババの写真でした
部屋の壁の絨毯の上に30X40cmほどの
大きさのサイババの写真が立てかけてありました
それを見た途端、その空気、エネルギーは
写真から出されたものだと確信しました
理性的に考えれば奇妙な話ですが
まさしく写真から流れ出た空気だという
確信がありました
なぜか祝福を受けているかのような
印象でした
その体験の数日後、再びプロデュサーから
電話があり役の変更を言い渡されました
皆川上等兵という兵隊の役を演ずる
こととなったのです
その電話を頂いた瞬間
私は導かれてインドへ行くのだと
直感しました
何故ならはじめから皆川上等兵役であった
ならば私はインドに関するリサーチをする
必要はなくサイババセンターに行くことも
なくその不可思議な体験をする必要はなかった
からです
ただ兵隊としての役作りをすればよかったのです
サイババセンターでの体験後、サイババに対して
興味を持ちました
一体何故あのような体験をさせられたのかと・・・
一度サイババを直接この目でみてみたい
そして自分がサイババを目の前にしたとき
なにを感じるのか体験してみたいと思いました
その数ヶ月後、深い河の撮影でインドの地を踏みましたが
撮影地はベナレスでサイババのいる場所からは
遠くまた訪問する時間も私にはありませんでした
結局、本物を生でみてみたいという思いは
叶うことなく帰国しました
その7年後、春さんと出会ったことがきっかけ
で今回のインド旅行がようやく実現したのです
ただわたしはサイババの教えなどの勉強
は一切していないし信者でもなければサイババ
に対して帰依もしていません
純粋にあの体験が何だったのか知りたかったのです」
一気にしゃべった私に対し
青山さんは全く表情を変えることなく
私の話を聞いていた
あまりにも表情が変わらないので
まわりの雑音にわたしの声がかき消され
話が伝わっていないのではと思った程だ
青山さんが私に質問をした
「その君を応対した演劇の経験のある
女性とは誰だった?」
私は答えた
「深い河の撮影の約2年後、青山さんの
サンカルパを読ませて頂きました
その中に女性の写真が一枚掲載されて
いました
その写真をみたとき、息がとまるほど
驚きました
それは2年前に役のリサーチでサイババセンター
を訪れあの不可思議な体験をしたとき
に優しく応対してくれた人の写真だったからです」
(その女性は青山さんと深く縁のあった人だった
詳細はサンカルパを読んで頂きたい)
「本当に?・・・」
表情が変わった瞬間だった
青山さんは驚きを隠せない様子だった
私自身もまさかその体験から7年たった
今インドという地で青山さん本人に偶然にも出会い
自分の体験を語るなどとは夢にも思っていなかった
あまりにも緊張した食事の時間が終わった
第35日 2002年2月17日 快晴 プッタパルティー
4時起床ダルシャンに向かう
くじ運がよく第1列目に座る
私の右側7mほどのところの第1,2列目に
青山さんたちが座っている
まだ日が昇る前の肌寒いなかうつらうつら
しながら時がくるのを待つ
気が付くともうそろそろその人の現れる時間
がもうそこまで近づいている
6時10分スピーカーから音楽が流れ
会場内の空気が引き締まるオレンジのローブ
をまといゆっくりした足取りで今日もまた
人々に祝福を与えに姿を現した
第1列目に座っていたわたしの向かい正面
の1列目の人々に祝福を与え手紙を受け取り
つつ私の前を通りすぎた
徐々に青山さんたちのほうへ歩いてゆかれた
青山さんたちの前に立ち止まり
何か声を掛けている様子が見てとれた
その声が聞き取れなかったかどうかは
その時点ではわたしはわからなかったが
その瞬間、青山さんは
「えっ」
という表情をしていた
一瞬インタビューに呼ばれたのかと
思ったのだがどうやらそんな様子でもなさそうである
ダルシャン後、朝食をご一緒したとき聞いたこと
によるとサイババは青山さんに
「WHERE ARE YOU FROM?」
と聞いたようだ
興味深かったのはサイババにとって
青山さんだという認識が
はっきりとあるにもかかわらず
わざとそういった質問を投げかけて
いる点である
そんな会話が交わされていたとは
全くの予想外であった
その話を聞き真意は知るよしもないが
青山さんに対しての一種
挨拶のようなものなのかな
と勝手に予想したりしていた
午後その日はいつもより暑く
なにもする気にならなかった
気だるい午後を過ごした
第36・37日 2002年2月18・19日 快晴 プッタパルティー〜バンガロール
今日も朝4時に起床しダルシャンを受ける
自分の内面ではサイババに対して
不思議な感覚が芽生えはじめていた
それはその人に対して日に日にもっと
近づきたいという想いである
恋をする感覚にも似たその感情は
自分でも得体のしれないものだった
何故そういう感覚が自分の中で芽生えはじめたのか
自分でも整理がつかない
人間が神というものに対して
自動的に示す反応
「もっと神の近くにいきたい
もっと神に近づきたい」
このような反応は人間の遺伝子に記憶
されているのではと勝手に私は解釈
しているのだが
自分の中のそのスイッチが押されたかのような
感じである
ただ毎朝4時に起き列に並び2時間もの
時間をただ待ちつづけその人の約20分
ほどのダルシャンを受けるという単純な繰り返し
の毎日なのだがそれでも自分の中では充実
していた
元来わたしはとても飽きっぽい性格で同じことを
ただ繰り返すということに対して我慢ができない
のであるが今回だけは別感覚だった
日に日に喜びを感じもっと近づきたいと
いう想いになっていく
バンガロール市内で私と春さんは用事があったので
日本に帰国する青山さんたちをを空港まで
見送ることとする
結局、青山さんがアシュラムに滞在した
あいだ、他の日本人も含めてサイババのインタビュー
に呼ばれることはなかった
わたしは、あの青山さんでさえインタビューに呼ばれること
がないという事実に驚かされた
毎回インタビューに呼ばれているのだろう
というイメージが覆ったため驚いたのだ
青山さんとはわずか7日ご一緒
させて頂いたが貴重で充実した時間
を過ごさせていただいた
貴重な出会いであった
第38日 2002年2月21日 快晴 プッタパルティー〜バンガロール
いよいよインドでの最終日だ
タクシーをチャーターしバンガロールに向かう
タクシーの中で春さんがバンガロール市内にある
占星術家に会いにいくという
午後1時に予約を入れてあるのだそうだ
詳しく聞いてみると
一ヶ月前から予約をしその時に生年月日
と生まれた場所だけを告げるのだという
その際には自分の名は言わないらしい
「シュカの書」
というのだそうだ
本人は友達からうわさをきいたらしい
あまり期待はしていないのだが試しに受けて
みるのだという
ところが午後1時の時点で我々はまだタクシーの中にいた
春さんが電話を取り出し1時間ほど遅れる旨を伝えている
しかしもう予約で一杯なのでまた予約を取り直して
日を改めてくれと言っているようだ
そういわれて我々も簡単には引き下がれない
とにかくその場所まで急ぐことにした
2時頃やっと場所を見つけ出し到着した
待合室のようなものがあり
二人の西洋人が待っている
私はこの場所が有名なのか英語で尋ねてみた
彼女は4年前にこの占星術家の噂を聞きやっと
今日、会うことができるのだという
私の五感が騒ぎはじめた
ひょっとするととんでもないところに来てしまった
のかもしれない
そのときセッション室のドアがあき占星術家
とおぼしき人が顔をだした
春さんすかさず遅れたお詫びを言い何とか
今日セッションを受けさせてもらえるよう交渉を開始
しかしえらく不機嫌で遅刻したのだからもう受け付けられないと
いうえらく冷たい態度である
それでも春さん必死に食い下がった
しぶしぶ
「まってろ!」
という返事が返ってくる
どうなるかはわからないがとにかく
待つことにした
その間に次々とリキシャーで西洋人がこの館に乗りつける
どうやら口コミでかなり有名な場所らしい
場所はロシアからイギリスそしてドイツと
様々なところから噂を聞きつけてきているようだ
こんな光景はアガスティアの葉の館でもなかった
否が応でも期待をもってしまう
そしてなにがなんでも今日セッションを受けないと
損をする気になってくる
待つこと1時間あまりだろうか
部屋に入るように言われた
どうやらセッションを受けられるようだ
4畳ほどの小さな部屋の真中に大きな机が置いてある
机をはさんで向き合って座ることとなった
ビデオでの映像の撮影は断られた
しかし音声はOKとのことだ
次回は決して遅れないようにと厳しく言い渡される
こちらはうなずくより仕様がない
「準備はいいか?」
その合図とともにセッションがスタートした
リーダーが矢継ぎ早に春さんに向かって
彼の職業、今までの人生、結婚、彼の人生の節目
などについて話していく
19・・年に何があったとか19・・年にこういう意識の変化があった
などかなり細かく情報を言っていく
わたしも必死で日本語への通訳を試みる
春さんの表情がみるみる変わっていく
驚くべき的中率で言い当てられているのだ
わたしもその雰囲気を感じていた
ただならぬ空気であった
リーダーが一息いれながら
「どうだ・・・」
と言わんばかりの顔つきでこちらを見た
「間違いはないか?」
そう聞いてきた
あまりの正確さに驚いた
完璧だった
あっけにとられた我々はリーダーが霊視のような
能力を用いて情報をとっているのだと思い、なんらかの
霊能力を使ってリーディングしているのか尋ねてみた
答えは 「NO」 だった
リーダーは
「全てこの葉に書かれていることであって
私はただそれを読み伝えるだけだ・・・」
といい自分の手元にある
「シュカの書」の葉を指差した
それは我々から見る分にはなんらアガスティアの葉
と変わらないのだがとこちらは
「シュカ」という聖人が個人個人の人生を書き残したものらしい
目の前にいるリーダーはその子孫だそうだ
今手元にある葉で間違いないということなので
本格的にリーディングがスタートした
より細かく情報を言い当てられていく
その細かさはアガスティアの葉以上だった
春さんのよこでセッションを聞きながら何故
そんなことがそこまでわかるのだろうと不思議
で仕方がない
春さんの結婚のことや仕事のこと
19・・年のこれくらいの時期にこういった事があった
とか何故、今の仕事を選ぶに到ったかなど事細かに
説いていく
春さん自身もその情報に圧倒されていた
その後は彼の将来のことや過去世に焦点が絞られ
セッションは進行していった
隣で内容を聞きながら、今からくる未来のことや
確認のすべのない過去世のことはその情報が真実
かどうかは証明はできないことだがおそらくそうなるであろうし
そうだったのだろうと思わせるものがあった
それは今生のことを細かく言い当てていたことと
その葉、そしてその場に流れている空気に「深さ」を感じるのである
その情報にそのものに深さを感じるのだ
真実味を感じてしまうのだ
おそらくリーダーの人間性や彼のこの仕事に対する
姿勢なども関係しているのだろうと思われる
約30分ばかりでセッションは終了した
あまりにも濃い時間だった
春さんは放心状態に陥っていた
ショックだったのだ
終了後、料金を聞いたところいくらでも
構わないとのことだった
お金を渡しても金額を確かめもしなかった
とてもめずらしいことだ
その態度に彼の仕事に対する誠意を感じた
ほとんどが少しでも多く取ろうとするのに・・
アガスティアの葉の検索には日本人は特別に
高い料金設定をしているところがほとんどなのだ
(日本人が大挙して押し寄せる前はそんなことは
なかったのだが・・・)
口コミで世界中から噂を聞きつけて人が
集まっていることにも納得がいった
皆この情報の「深さ」「正確さ」に反応しているのだ
皆、自国にもどり口伝するのだ
まだマスコミに汚染されていないのも感じる
なんとか私自身もセッションをしてもらえるよう
頼んだのだが頑として受け入れてもらえなかった
日本から予約をとってまた訪れてくれと言う
代行検索も受け入れないようだ
本人でなければだめらしい
予約を一ヶ月前からとることと本人がいることが
絶対条件のようだ
残念だがまたの機会とすることにした
「シュカの書」すごいものを見つけた
第40日 晴れ バンガロール〜成田
とうとうインドを去る日がきた
ちょうど40日インドにいたことになる
アガスティアの葉に始まりサイババ
南インドの寺の巡礼そしてシュカの書と
目まぐるしい日々だった
2001年11月11日に
四国88ヵ所の歩き遍路をスタートして
今日まで怒涛の日々を送った
その間、私の興味は常に
「目に見える世界と目に見えない世界との接点」
であった
2002年1月1日自分の体のなかに
変化が訪れた
四国88ヵ所を51日で歩き終えた翌日のことだ
山奥にある古民家で休養をとるべく
車に乗っていた
マンダラネットの立石さんが運転している
私の疲れ果てた体も心も虚脱状態だった
ただぼーっとフロントガラスから見える山道を
眺めていた
その時、体の中に
「カチッ」
とスイッチが入ったような感覚が訪れた
次の瞬間、自分の人生がこれまで避けて
きたものに対してをやらざるをえない次元へと
移行していくのを感じた
それは
自分が生まれてきた意味
自分が成さねばならないこと
がわかったかのような感覚であった
私は世界中にある巡礼道、聖地を訪れる
という願望を抱くようになった
それを旅することによって
新たな自分を発見しそれを人々と
分かち合いたいと思うようになった
そしてインドへと旅立った
そして40日間全身でインドを体験した
自分のアガスティアの葉を発見したことに驚き
「何故、何千年も前に存在したアガスティアという人間が
私、秋元海十が、いつ、どの両親のもとに生まれ、何を為すのか
などといったことが解りうるのか?
また私の葉には世界中の聖地やスピリッチュアルな場所を
訪れるだろうという記述があったのだが、
それは2002年1月1日にわたしの意識に起こった
変化をも予見しているということなのだろうか?」
といった疑問が生まれた
謎は深まるばかりである
また生まれて始めて生きている人間
に自分が絶対に対峙できない恐怖にも
にた感覚、畏怖の念をサイババに対して抱いた
そして昨日は
「シュカの書」
の的中率に驚愕した(私自身の葉ではなかったが・・)
いずれ自分のシュカの葉を開きたいと思う
旅の途中、病に倒れたり、交通事故にあったり
詐欺にあったりもしたが今となればいい思い出
である
それよりもインドの神秘さにじかに触れられた
喜びが大きい
あまりにも魅力的であった
私は旅を続ける
世界中の巡礼道へそして聖地へ
page 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |